脅迫『ぼくが猫語を話せるわけ』256-258頁

猫語というのはまことに難しい。
 ぼくの猫も既に十三歳、深沢七郎さんの説によれば化けてでる年だ。「ギネス・ブック」によると史上最長寿の猫は三十六歳まで生きたということだが、一方では猫の寿命あせいぜい十年、うちの猫は人間でいうと既に七十五歳位に相当するという説もある。心配だ。
 そこでぼくは彼にいろいろなことを教えたくてたまらない。
 たとえば(話が相当にとぶ感じがあって、そしてまさにそこが問題なのだが)、平田篤胤によると、極楽で暮らすためには水泳がうまくなければならない。何故なら、極楽ではみんなのんびりと蓮の葉の上に坐っているわけだけれど、つい眠りこけて水の中に落ちる危険がある。こともあろうに極楽で溺死なんかしたら、その先がどうなるかはオシャカさまでもご存知あるまい・・・・・・。
 それならタンクに水泳を教えておけばいいわけだが、彼は水泳どころか、爪の先が水に触れるのも嫌いなのだ。これではまずい。
 そこでぼくはどうしても彼に、この極楽の危険を教えなければならないと思う(飼主の義務だ)。死んで極楽に行けば、今よりずっと平和に熟睡できるなんて思ったら、とんでもないことだよ。お前にとっては今の方がずっと幸せなんだぞ。だから永生きしないと、損してしまうぞ・・・・・・。
 しかし、こんなややこしいことを猫語で伝えるには、一体どうしたらいいのだろう。
 まず、ヒラタアツタネからして難しい。こういった種類の人名は、猫語では最も難解な抽象語に属するのだ。次いで極楽となると、もっと大変だ。しかもその極楽では何故蓮の葉の上で眠らなきゃいけないのか。どうして水に落ちるのか・・・・・・。タンクに浄土三部経の講義をする?それも猫語で?

 大英博物館に沢山ある古代エジプトの猫のミイラの話をしてみようか、と思ったこともあるけれど、これも効果はなさそうだった。ミイラとか永遠とか再生とかいった言葉が理解不能というためではない。「化けて出る」ために三千年も四千年も干からびた鮭みたいな格好をして、しかも鼠にかじられたり虫に喰われたりするのを我慢しなければならない理由が、彼にはそもそも理解できないのではあるまいか・・・・・・。
 そんな或る夜、ぼくはふと、本来の飼主が揺り椅子に坐って膝の上にのっけた猫に何か一生懸命言いきかせているところに出くわした。こっそり耳を澄ますと、彼女は男にはとても出来ないような露骨さで猫を脅迫しているところだった。
 ――いいわね、タンク。シャム猫ってみんなそっくりなのよ。お前がどんなに肥ってても、そっくりのシール・ポイントはいっぱいいるのよ。だから、お前が死んだら、その日のうちにそっくりのシャムの仔猫を買ってきて、タンクって名前をつけちゃうんだから・・・・・・。だから死んだらお仕舞いよ。あたしたちが悲しむだろうなんて思ったら大間違い。分かった?だからお前永生きしなきゃ駄目なの、ね?分かった?
庄司薫「脅迫」『ぼくが猫語を話せるわけ』中公文庫 256-258頁

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