古楽器が遠くから 『名づけの精神史』178-179頁

古い、繊細な、・・・・・・何処か野末から西洋古楽器が、不図鳴り初めるというよりも、古楽器が遠くから獨りで歩いてくる、躊躇いがちな思考の足音が、市村弘正氏の文章の基底あるいは下層からは絶えず聞こえている。おそらく読者は市村弘正氏のこの音楽(の言葉、・・・・・・)に最初に気がつくのではないだろうか。幾重にも思考の“織り/紡がれた層”の存在を読む側も感知する、そしてそれが揺れ動いていることを知る。思考の地面の揺れ、しかもその“揺れ”は失地(あるいは喪われたものの地の揺れ)からもとどけられていて、いい淀むでもない、口籠るでもない、文体とか呼吸とかということで括ることももう困難な“非常な難路”を眼の当りにしている。“非常な難路”――市村氏が自ら切り開いた“思考の通路”を、その開かれて行く態にそってわたしたちは読む。痛苦に伴われつつ、何故か不思議な骨太の巧まざる“含み/脹らかなるもの”を不図覚えながら、・・・・・・。巻頭に据えられた「物への弔辞」の”通路/道程”は、市村氏の“思考の通路(の深さ、繁み、複雑、・・・・・・等々)”を証している。
吉増剛造「解説――古楽器が遠くから」(市村弘正『名づけの精神史』所収)178-179頁

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