文庫本を語る 市村弘正「読むこと経験すること」

中野重治はよく「品物としての本」という言い方をしますね。テクストの物質性とか読書行為の身体性とか、そんな観念的なことは言いません。重いとか軽いとか手触りとか、具体的に書きますね。そういう物質感覚、身体感覚そして彼の文章の屈曲が含むオーラルな感触。それらはわれわれのなかから消えつつあるものですね。中野重治の想像力の働かせ方も独特です。たとえば文庫本についてこんなふうに書いています。

  海の水の底までもたずさえられて行った無数の小型本とその持ち主とのことをもう一度思い出してみてもいい。日本全国で、友だちや愛人やが、差し入れのためにあれこれと、郵送料のことも勘定に入れて小型本を包み包みしていた姿も決して忘れられぬ。

つまり、戦争に持っていけるものは文庫本くらいしかなかった。そして彼は「そういう場面で、いろいろの文庫本がそのテキスト批判について比較されるというようなところまで行けば全くいい」と書くんです。そういう想像力の働かせ方をする。小さくて薄いという物質的な条件が、どれほどその本を手にする人びとの身体感覚を動かすか、歴史的社会的な文脈を喚起するか、それを彼は語れるんですね。いまでは文庫本をこういうふうに語れる人はいません。われわれは悲しいかな、文庫本は安くて軽くて便利だ、ということぐらいしか読めないでしょう。
市村弘正「読むこと経験すること」『季刊 本とコンピュータ 2004春号』78-79頁

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