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ナナメは無限-オイリュトミーのレッスンより

那須奏身舎の渋谷智栄子先生にオイリュトミーを学んでいる。

レッスン中に先生が話す言葉の一つ一つはシンプルで優しいけれど、宇宙とか地球の隅々まで網羅できそうなほど普遍的。

自分の復習のために、先生の言葉を引用して振り返っておきたい。

まずコチラ

響きは無意識に働きかける力があります
歴史ある教会やお寺は、牧師さんやお坊さんの話の内容だけでなく、その建物が跳ね返す響きが人々の心を癒したという話もあるのですよ

奏身舎のホールも音が気持ちよく響く空間で、その響きの中に包まれる体験は本当に心地よいものだった。

それによってどんなイメージやアイディア、体感を得たか、もっとあの体験に解釈を加えることもできそうな気がするけれど、せっかく無意識の中に静かに眠っているものを起こしてしまうのはもったいない。無意識に確実に響いた直感だけ、今は大事にしておきたい。

響きを感じること、耳を澄ますこと

どうしても「見る」「魅せる」「視覚に訴える」など日常は視覚優位になりがちだけど、見えない部分を感じる、想像する、味わう…その内的な静けさや時間の余白を確保することは自分を大切にすることだとも思った。


トリハダたつほど感動してしまったのがこちら

奏身舎のホールは、いま見えているまっすぐな柱だけでなく斜めの柱が壁の中に隠されています-ナナメの力が働くことで強さが増すのです
オイリュトミーで「I(イー)」は垂直方向を意識するけれど、形は右手をナナメ上、左手をナナメ下でとります
ちょうどカタカナの「イ」のように
これがは自立、自由ということでもあります

「まっすぐ」を強めるために「ナナメ」を意識する

たしかにこの「ナナメのI(イー)」の形になってみると、両腕を挙げてまっすぐ立つよりも不思議とリラックスして安定する。

「まっすぐ」では上か下にしかいけず"ちょっと頑張って立っている”という感覚があるけれど、「ナナメ」はエネルギーがほどよく分散して、余分な力が抜けるかんじ。

なんでも一人でできるのを自立というのでなく、人に頼ったりSOSを出せたりすることが自立とも言われるのと似ている。

「ナナメ」を隠した「まっすぐ」は強く、しなやか、無限というイメージだった。


母音は内なる感情

この日学んだのはオイリュトミーの母音について

オイリュトミーで母音は【内なる感情-私はどう感じているの?】を表すそう(ちなみに子音は「父なる音」とも言われ【外なる自然界】を表す)。

レッスン中一つずつの出会いに「あー(深い納得)」「えー(おどろき)」「おぉぉ(感嘆)」としか言えないことばかりだった。

でもそれでよかったのだと思う。

すぐに言葉で整理してまとめて…と頭を忙しく働かせない良さ。

不思議だけど、オイリュトミーのレッスンで学ぶことは初めて知ることのはずなのに、内側から思い出していくような学びだと感じる。

既に自分の中にある体験や感覚が優しく起こされていくような。

この感覚がどこでどんな風に結びあっていくのか…とは期待しすぎず、あの美しい世界にとっぷりと浸っていきたい。

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