大事な出会い
思春期を生きる子どもたちが私の北極星であることは心理士の仕事を辞める前も辞めたあとも変わらないけれど、彼らに直接かかわる仕事はもうやらないかもしれないなと思っていた。もう満喫しましたというかんじで。
でも、やはりチャンスがあったら何かやりたいと思う出会いがあった。
インド人の青年
今年の秋、久しぶりに海外へ行った。その直前に少しは英語に慣れておこうと、カレー屋さんで開かれた英語でしゃべる会に参加したときのこと。
インドの大学を卒業して日本で働いているという青年に出会った。
私は英語の練習に、青年は日本語の練習にと、私たちはお茶飲み友達になった。
青年はこの土地に来て4ヶ月と言った。会社の同僚とはあまり話せず、友達もできず、休日にすることがなくて退屈だと言い、そこそこ元気がないようにみえた。
この姿、なんだか見覚えがある。。
そう。私が心理士時代に会っていた子どもたちだ。
子どもたちの多くは自閉スペクトラムと言われていた。自閉スペクトラムは、物事のとらえ方や感覚が少数派であるがゆえに生きにくさを感じやすい脳のタイプ。
彼らはクラスメイトとのコミュニケーションがぎくしゃくしてしまい孤独を味わったり、浮かないよう気を遣いすぎて疲れはててしまったりしていた。
自閉スペクトラムの彼らも、インドの青年も、所属集団に心地よく居られない少数派ならではの寂しさを抱えていた。
やっぱり大事だ
そのとき仕事を辞めて半年ほど経っていた。
今までと違う深さで、彼らのことを思い出した。
「ぴこりんさんは自分の全部を話せる人っていますか」と尋ねてきた彼。
私の未熟さゆえの失敗を誠実な想いで許してくれた彼女。
自分の中にズルさがないか試され洗われ、本当に私は彼らに育ててもらった。
彼らの存在が過去の自分に重なって癒してももらった。
別れるときに感じたありがとうの何倍もの感謝をこのとき感じた。
彼らが生きる社会の空気は、すべての大人がつくっていると思う。
大人として“ちゃんと”生きることが、彼らへの応援として最小限できること。そしてもし機会があったら、中高生年代の子どもたちが健康に思春期を乗り越えて大人になるまで、その嵐のような時期にちょっと避難できる小屋になれるような何かをやっぱりやりたいと思うようになった。
インドの若者は交友範囲を着実に広げていて、お茶飲むことは減った。
ときどき旅行に行ったことなど聞かせてもらえるのが嬉しいなと思う。
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