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ポートレイトから始まる…

先日ポートレイトを書かせていただいた方が、読んだ感想とともに、ご自身が話されたことと私が受け取って書いたことのニュアンスの違いをフィードバックしてくれた。

話し手が本当に伝えたかったことを確かめ合っていくやりとりが、その人ご自身や、共有した時間を違った角度から見せてくれ、とても有意義だった。

「書いたら終わり。だってメインは話す時間だから」

そう考えていた。

でも少し違ったみたい。

目指すは、ポートレイトのその先

「ことばで映すポートレイト」では、1時間程度お話を聞かせていただき、それをポートレイトのように、“私が見た/聞いたあなた”を記事にまとめてお返しする。

一番大事にしたいのは、話し手が、静かに自分に集中して話すこと。

だからポートレイトは、話す時間についてくる“おまけ”、“感想みたいな私の独り言”、”ご自由にお持ちください的なもの”とイメージしていた。

でも今回フィードバックをしていただいて、ポートレイトはその人が気持ちよく持っていられるものにしたいと思い直した。


お会いして話している間は、初対面ならではのチューニングみたいな時間があって、その人が話す言葉が、いつもなら使わない表現になることがある。

また、変わり続ける中のたった一瞬に思い浮かんだ言葉だったり、外からは見えない頭の中に流れていたストーリーが生み出した言葉だったりすることもある。

聞き手である私の姿勢や興味関心が、“違う”言葉を引き出してしまうこともあると思う。

そうして出てきた言葉だけを手掛かりにイメージを共有しようと努め、ポートレイトを書いていくのだから、出来上がりが話し手が話したかった内容と違うものになる可能性は高い。

それを形あるものにして渡して終わりにしてしまうとは、とても乱暴なことだったのではないかと、ヒヤッとした。

相手が実際に使った言葉が、いつもは使わないワード/フレーズだったとしても、“なぜその時にその言葉が出てきたのか”、私という他者に映して見えたもの、出てくる気持ち、それをシェアして新しいポートレイトにしていく。

このプロセスこそが、一番おいしいところなのではないか。

ポートレイトから始まる対話が、本当に目指すところかもしれない。

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