見出し画像

三十二歳の別れ

4年近く暮らした東京を離れて、愛する地元福岡へ引っ越します。

これは超個人的な振り返りと今後のお気持ちnoteです。
最後にほしいものリストも載せています〜〜〜〜。

東京はきらいだった

そもそも福岡を出たいと思ったことは一度もありませんでした。都会だし、仕事はあるし、自然もたくさん。東京に来たのは4年前(2017年末)、夫の転勤がきっかけでした。
東京のファーストインプレッションは
- 空気がくさい(人が多いからか、くさい)。
- みんな歩くのが速くて無表情。
- 新宿は汚い、渋谷はもっと汚いしうるさい。
- 駅も街もでかすぎるのよ...

福岡を出るとき「東京なら仕事も多いだろうし逆によかったんじゃない?」と言ってもらえましたが、こんな無機質な世界でどうやってその仕事の流通をつかめるのか、まったくわかりませんでした。大都会で、会社にも属さずひとりぼっちで、3ヶ月くらいは引きこもっていました。

とにかく人に会った

同業の知り合いがゼロだったので、東京1年目は勉強会やイベントに行きまくりました。なんならそこで知り合った人と一緒に主催したりも。1ヶ月で10回以上イベントに行った月もあるくらいとにかく人に会い、LTをしまくっては声をかけてもらい、友達や自分の居場所をつくるのに必死でした(思えばこの頃知り合ってからずっと仲良くしてくれてる人がたくさんいる、ありがとう)。

画像1

また、仲良くしていただいている先生からデジハリを紹介してもらい、金銭的&精神的基盤を作ることができました。デジハリはスタッフもトレーナーも受講生もみんな雰囲気がよくて、ここでの出会いには感謝してもしきれません。

画像2

イベントなどでまいた種は、半年〜1年で芽が出ました。直接Web制作の依頼をいただいたり、制作で協業するようになったり、飲み友になったり。数は少なかったけど、ぼっちの私には着実に心の支えになっていました。

もちろんいいことばかりじゃなくて、苦手なタイプ(うさんくさい人や、自己満イケイケおじさん)ともうっかり仲良くなってしまい、しんどい思いも結構しました。東京は人やコミュニティが多くて、そういう苦手な人たちからはすぐフェードアウトできるので助かりました。

でも、やっぱり東京は好きになれない。来たくて来たわけじゃないのに、居場所は自分で切り拓かないといけない。なかなかつらい。東京の人との距離感は難しい。知らない人は冷ややか(に見える)。やっと仲良くなった友達とごはんの予定ができても、街が汚くてくさいのは変わらない。飲食店ではかなりの確率でヤツとエンカウントするし。。はぁ。。
そんな汚い街の中に自分だけピカピカとそびえ立つ立派な高層ビルなんて、もはや狂気としか思えませんでした。

この頃の口癖は、「福岡帰りたい😭」。

そして一度死んだ

東京2年目。東京より圧倒的に福岡が大好きだったのと、東京疲れから夫婦関係がうまく行かなかったこともあり、しょっちゅう福岡に帰っていました。墨田区の家にもどるのはだいたい夜の便。キャリーを引きながら深夜のスカイツリーを見上げては泣いていました。本当にここはわたしの居場所なんだろうか。

東京2年目が終わる頃には離婚をしました。離婚の1年前から体が不調になり、さらに希望を抱いて訪ねた占いで絶望し、その衝撃がトリガーとなって適応障害になりました。
占:「あんた来年には仕事が途絶えて、生活保護を受けるよ、そして〇〇歳までに死ぬ。死に方は(略)。あんたは救いようがない。これは変えられない将来。」
(実際そうでなくても目を見てこんなこと言われたらダメージエグすぎ)

心が瀕死の中、占いとは裏腹に仕事やご縁はどんどん大きくなり(ありがたい!)、スクールで担任を持ったり、大学の非常勤講師になったり、さらには本を書くことになったり(しかもMdNさん!)、またまた撒いた種が芽を出し、趣味のレタッチが仕事になったりしました。うれしかった。

画像3

画像4


同業界の友達もたくさん増えて、仲良くなったメンバーで、デザイナーの同人誌即売会&交流会「デザイン読書日和」を企画し始めました。
こんなチャンスが巡ってくるなんて、なんだか東京っぽいな〜と思ったりもしました。

当時の主な症状としては、動悸からくる「わーちぎれる!ちぎれる!」という心臓の痛み、頭がぼんやりして思考がまとまらない、などでした。でもなぜか、人に会ったり仕事をしているときはマジでめっちゃ元気なんですよね。このころが東京にきて一番忙しかったと思う。
仕事の縁が増えたこともだけど、相談できるような友達が東京でできたこと、逆に気にせず遊んでくれたこと、本当にうれしかった!
やっぱり人が好きなんだな〜。

画像5

(ちなみに離婚を考えている人、続きそうにない結婚をしようとしている人、めちゃくちゃ相談乗れますw)

徐々に東京がホームになる

画像6


一人暮らしをするタイミング(東京3年目)では、気づけば「福岡帰りたい」と「東京残りたい」が同じくらいになっていました。

どっちに住んでも後悔しそうな気持ちが渦巻く中、東京での縁が広がっていて仕事も楽しかったことと、最終的には「やれるだけやっておいで」という祖母の言葉で東京残留を決心しました。(祖母は後期高齢者。さらにわたしのことが大好きすぎるので本当は帰ってきてほしかった、のに、この言葉。)
てっきり帰ってくると思い込んでいた両親にはちょっと悲しい思いをさせました。

とはいえ、街も路線もまだまだ全然知らない東京。内覧に行きまくっても、どこも知らない街で不安しかなかった。

新生活を始めた場所(in世田谷区)は、静かで、穏やかで、いい街。東京にもこんな場所があるんだ〜と、あらためて東京の大きさを知りました。同時にこの冬、冬期うつを発症しました(一般的なうつ病と違って、冬ひたすら眠い、冬眠体質)。仕事に支障が出るほど眠ってしまうので、今後も冬は仕事を減らすことにしました。

心と体の平穏を保つため、グループレッスン制のジムにも通いはじめました。月額高かったけど、トレーナーさんと距離が近くて楽しくて、わりとサボらず最後まで通い続けることができました。

以前の墨田区より友達との物理的距離が近くなったこともあり、よく遊ぶ飲み仲間もできて、東京がすっかり「ホーム」になりました。BBQしたり花見したり、今まで行ったことのない東京のいろんなところへ行きました。降りる駅ごとに色が全然違って、コンパクトシティ福岡では感じられないわくわくがありました。3年目にしてやっと東京を楽しめた感じ。

画像7

そしてコロナ渦へ

引っ越して半年もたたずにコロナですよ。仕事や遊びで外に出ることはどんどん減って、2020年2月に初開催の予定だった「デザイン読書日和」も延期に。イベント延期はつらかったけど、スタッフ同士お互いの意見を言い合って、尊重しあって、結論を出すことができたので、そんな素晴らしいメンバーと東京で出会えたことに改めて感動しました。(でざびよは2021年2月にオンライン開催をしました!)

そしてなんでもオンラインで完結してしまう世の中になると、高い家賃を払って今の家に住んでいる意味がわからなくなりました。

もんもんしながらもずるずると東京4年目(今年)になって、とりあえず更新が来る前に今の家は出よう、という気持ちになりました。今より都心から離れて神奈川に引っ越す?あえてめっちゃ都心に引っ越す?思い切って福岡に引っ越す?もはやどこでもいいな〜〜〜

今は東京が楽しくて、1年目のような「帰りたい😭」という気持ちはあまり無く、福岡は選択肢の1つに過ぎませんでした。

今年6月、たまたま福岡に条件ばっちりの物件を見つけ、即行でそこに決めました。ちなみにその直前までは下北沢の物件を見ていました。え!

おのちゃんは東京が合ってるのに。

「もったいない」「なんで福岡に帰るの?」と、引っ越しが決まってから必ず聞かれます。1-2年目の「帰りたい😭」期だったら「そうなるよね〜」という感想になるんでしょうけど、東京に馴染んで満喫しているこのタイミングでの帰福に、東京の友達は驚いたようでした。わたしもそう思います。笑

でもわたしとしては「帰る」っていうより、ただの引っ越し。「田舎移住でスローライフ☆」とも違う。住むところなんてもはやどこでもよくないですか〜っていう感覚です。下北沢に引っ越すのも福岡に引っ越すのも大差無いと。この1,000kmの引っ越しを過去に一度経験したせいもあると思います。

東京は活力のある人が多くてすきです。きちんと自分を持って発言できたり、日々勉強を怠らなかったり、将来に真面目な人が多くてすきです。なんか、キラキラしてるとかじゃなくて、ひたむきに冷静に考えられる人が多いです。友達どうしでも「わたしはこういう意見だけどあなたはどう?」ができる人が多い。人のプライベートに「結婚は?」「子供は?」とずかずか入り込まない。悪習は引き継がない。新しいことはどんどん取り入れる。自動化、フレックス、リモート、話が早い人が多くてすき。あとはオジサンへの無駄な忖度がなくてとっても楽です。(全部おの調べ)

画像8

だからこそ、どこでもいいな〜って。
福岡も東京もすき。

これからどうする?

東京の仕事は今後も続けるつもりですし、東京に用があれば飛行機に乗ります。すぐ乗ります!
元々フルリモートの案件しかやっていないので、働き方もあまり変わらないと思います。委託元の会社さんたちも「福岡!いいですね〜」という感じだったのでありがたかったです。精一杯頑張ろう、と思いました。
もちろん福岡でも仕事は取っていきます。取れるかな〜。4年のブランクの間にいろいろ変わっているだろうから、またいろんな人と会っていきたい。近所に飲み友もほしい!(大事)

ここ数週間、事態も事態で東京での送別会は全部つぶれてしまって(企画してくれていた方々申し訳ない)、会えずじまいだった友達がたくさんいます。それだけが心残りだなぁ。

まあでも、たぶん東京にはしょっちゅう行くし、福岡にもきてほしい!
どっかでそのうち会いましょう!(社交辞令ではないぞ)

画像9

ほしいものリスト

僭越ながら新居で使いたいものなど載せていますので、もしよければお願いします〜!

(8/20以降に届くようにしてもらえると助かります)

余談

タイトルの「三十二歳の別れ」は、9年前、崇拝する椎名林檎女史が32歳のときに書いた曲です。当時はよくわからなかったけど、最近ふと久しぶりに聴いたら、なんだかいつの間にか背負っていたものや変な意地がどさどさ落ちたように感じて、それはそれは泣きました(歌詞の解釈は人それぞれよね)。直接的ではないですが、今回の決断に至った曲でもあります。

公式の動画とかがなかったので載せられませんが、各種サブスクで聴いてほしいです。歌詞だけでも読んでみてね。そして泣け。

画像10


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?