震災日記 2024年1月3日

9時起床。深夜に寝ぼけながら星野源と爆笑問題のラジオを交互に聞いた。どちらもしょうもない下ネタで爆笑していた。辛気臭くなくてちょうどいい。内容はほとんど覚えていない。朝から雨が降っている。そして半島を震源とする地震がひっきりなしにやってくる。幸いK沢市は震度1で済んでいるものの、続くとメンタルにこたえる。まだ寝ているのかと思ったら、妻は布団の中でスマホを見ている。Instagramのストーリーで怪しいハイエースに注意するよう呼びかけられているらしい。SNS使用歴が長ければ一目でデマだと見破れる情報でも、広く拡散されてしまうと訂正は難しい。

13時から友人たちと顔を合わせるので、夫婦交代でシャワーを使う。風呂場に入っている時も地震が来るので、迂闊に自分の好きなタイミングで使用すると最悪裸で避難しなければならない。普段なら気にしない日常の動作もお互いに声を掛け合う必要がある。シャワーを済ませてホットクックに残っている鍋を適当に食べる。そろそろ同じ味にも飽きてきた。

12時過ぎに自宅を出発してコンビニに寄る。車で5分の距離にも関わらず、依然として断水が続いているらしい。コーヒーの販売が中止されていた。よく見るとホットスナックの販売も止まっている。保温ケースには手書きで貼り紙がされていた。同じタイミングで店内に入ってきた女性が「コーヒー売ってないんだって」とパートナーと思われる男性に話しかけている。炭酸水とお茶を買って車に戻る。

念のため約束の時間を確認すると「14時集合」の文字を見つける。自分で送っておきながら、1時間早く勘違いしていた。今から行っても到着には早すぎる。妻に相談すると「ガソリンを入れたらいいのでは。そして一旦家に帰りたい」とのこと。いつもの警察署の向かいのガソリンスタンドまで車を走らせる。

1月2日の夕方に近くまで行った時には交差点を曲がっても行列が続いていたが、3日にもなるとパニックは収まり通常の混み具合だった。いつもは見かけない店員が車を誘導していた。おそらく震災対応で普段は別の場所で勤務している社員が駆り出されているのだろう。隣のレーンでは逆向きに車を突っ込んだお年寄りが店員に向きを変えるよう促されている。ガソリンタンクの向きも、セルフ給油の使い方もままならないようだ。この状態でよく運転しているな。明らかに運転が心配な高齢ドライバーだ。もしかしたら普段は運転していないが、地震を機に避難に備えているのかもしれない。

ガソリンを満タンにして自宅に戻る。妻は気丈に振る舞っているが明らかに疲れが見えている。義理の両親も実家に戻る計画を立て始めている。目的地に着くまでの道中での渋滞や事故、被災地での二次災害など最悪の想定をすればキリがない。とはいえ彼らなりの価値判断がある。私たちに強制する権利はない。私たち夫婦に踏み込まれたくない領域があるのであれば、義理の両親にも同じことをが言える。彼らの意思を尊重するのがベターな選択だろう。

14時に友人たちと顔を合わせる。皆が元気そうでよかった。金沢も被災地であることは間違いないのだが、私たちの住んでいる一帯は大きな被害はなかった。そのことに油断している者も見受けられる。「避難するように」と再三呼びかけたにも関わらず結局避難しなかった人。どこかヘラヘラしているように見えて内心ムッとしたが、極端なストレスにさらされると不用意に笑顔を見せてしまうこともあると誰かがツイートしていた。自分の反応を自制しつつ、緊急時の避難の重要性を皆に説いた。

今回の地震で課題に感じたのは、家族内で統率が取れている家庭とそうでない家庭のギャップ。夫と妻で災害に対する意識に差があると、妻は逃げたくても夫が逃げようとしない、でも夫を置いてはいけない、じゃあどうしよう…と八方塞がりになってしまう。結果的に津波は来なかったが、それがバイアスの強化に繋がりはしないか。日頃からの備えの必要性が身に染みた。

災害ボランティアで地震の翌日から現地入りの組織をしているベテランに遭遇した。すでに穴水まではなんとかガソリンを届けることができたそうだ。民間であったとしても先手を打って行動できる人たちを尊敬する。「道路がどうなっているかわからないけど、行けるところまで行く」と話していた。新潟中越地震や東日本大震災の時の現地の様子について話を聞いた。自分の心が受け止めきれないような気がしたので、能登の被害の状況まで突っ込んだ話は聞けなかった。あまり深い話はせずに、心からの感謝を伝えるにとどめておいた。

夕方には市内に滞在している義理の母と私たち夫婦でファミレスへ。被災地の友人たちのことが気になってしょうがないようだ。とはいえ先方のリソースが限りなく制約を受けている状況で無理に連絡を取ろうとしたり、向こうの人に自分たちのケアを求めるのはあまりにも酷だろう。傷つけることになるかもしれないが、今は比較的安全な市内に留まり、被災地からの連絡を待つのが賢明だと話した。さっきまで饒舌だった義理の母が黙ってしまった。少し言いすぎたかもしれない。でも被災地は命がかかっている。少なくとも自分の身内が負担をかけてしまうのは避けたい。

義理の母を滞在先まで送り届けて帰宅する。それぞれの両親との関係や今後の生活について夫婦で話し合う。私と妻の考えている方向性が一致しているのが不幸中の幸い。地震から2日目の夜も更けていく。NERVのアプリでは市内は震度2と表示されているが、明らかに私たちが住んでいるアパートはそれ以上揺れている。体感で震度3ほどはあるのではないだろうか。いつでも家を飛び出せるように枕元に一通りの備えをして眠りについた。

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