震災日記 2024年1月2日

前日は遅くまで起きていたのに妙に寝起きが良い。健康なのか、ストレスで緊張状態なのか。朝食にホットクックに残っている味噌汁とご飯を温め直して食べる。一夜明けてW市の惨状がわかってきた。火災は鎮火したようだが、まるで爆撃を受けたかのような有様だ。丸焦げになった乗用車が痛々しい。公開された空撮写真から有名な漫画家の記念館が全焼したと指摘する声もある。妻の実家がある地域の状況はわからない。

それにしても1月にしては良い天気だ。夫婦で歩いて15分ほどの大型ドラッグストアに向かう。川沿いを歩きながら街並みを見ていると何の変哲もないように思える。しかし川の水はカフェオレ色に濁っている。前日に雨が降っていないことを踏まえると、地震の影響に違いない。つがいのカルガモが漂う美しい水辺の姿はそこになかった。橋を渡り、大きな道路に抜ける路地に入ると、屋根に登って落ちた瓦の手入れをするおじさんの姿が見えた。地面には砕けた瓦とガラスが散らばっている。

大通りに出ると、かつて商店だった空き家の外壁がごっそり落ちている。通行人にまともに当たっていたら無傷では済まない。道路の反対側の信用金庫では男女が丸く円陣を組むように談笑している。よく見ると建物2階の大きな窓ガラスが割れていた。割れたガラスが道路側ではなく建物の中に落ちたのは不幸中の幸いだったのだろう。敷地内に立ち入らないように貼り紙が添えられていた。

ドラッグストアのある交差点までくると普段の交通量が戻っていた。角のガソリンスタンドには長蛇の列ができている。K沢ナンバーに混ざって関東や東北の車もちらほら見える。一刻も早くここから出ていきたいのだろう。青白い顔をした青年が初心者マークをつけた車に給油している。彼の長旅が安全であることを祈る。

店に入ると思ったよりも普通に営業していた。心なしかパートさんよりも社員の制服を着ている人の方が多いように見える。いつも白菜1/4カットが並んでいる平台にはニンジンの袋が山盛りになっていた。売り場の空白を埋めるための苦肉の策に見えた。野菜売り場は少しボリュームダウンしているが品揃えは悪くなかった。しかし加工食品の冷蔵ケースは品切れが目立つ。うどん、そば、豆腐などは売り切れている。1番下の段に並ぶ割安の納豆は什器の奥の方まで手を伸ばさければならなかった。

野菜、加工食品、鮮魚、お惣菜、パン、精肉と店内を反時計回りに進む。本来休日だった私服の社員がパン売り場の陳列に駆り出されている。ヤマザキパンが被災地に物資を送ったと聞いていたが、今朝の時点ではまだ小売店にも商品が届いていたようだ。パスタや味噌醤油の通路が積み上がったオリコンやカゴ車でふさがれている。入荷した在庫が補充しきれていないのだろうか。

ふと上を見上げると、天井のボードが外れて断熱材が垂れ下がっていた。通路がふさがれていたのはこれが理由だったのか。まだ開店してから2、3年しか経っていない新しい店舗でもこのありさま。古い店舗ならこの程度では済まなかっただろう。よく見ると店内の所々が立ち入り禁止になっていた。

「私が作るから近所の子持ちの夫婦にりんごケーキでも焼いて持って行ったらどうだろう。昨日の地震で大変だっただろうし。」と妻に尋ねると、今はそんな気遣いはしなくても大丈夫だとたしなめられた。確かに人のことを構っていられるほど余裕はないか。色々と見て回ったが、結局カットサラダと500mlのお茶を2本だけ買って店を後にする。

帰り道に家から1番近い小さなドラッグストアの前を通りがかる。店の前にはすでに人が並んでいる。おそらく水や食料品を買いだめるために集まったのだろう。外から見る限り開店準備が進んでいるようには見えない。

11時前に帰宅。radikoでジェーン・スー生活は踊るをつける。能登半島地震の話題からスタートし、北陸の天気予報が伝えられる。東京ローカルのTBSラジオで自分の住んでいる土地の天気が話題になっている。不思議な感覚になるのと同時に、それほど大変な状況なんだと実感が込み上げてくる。

昼食はホットクックに牛肉・キャベツ・油揚げ・鍋スープを突っ込んで煮込む。料理を作らせている間に12月の勤怠締め処理を完結させなければならない。幸い残りの営業所からもOKの連絡が届いていた。いつもの完了メールを全国に配信する。普段はぶっきらぼうな業務的な文面しか書いたとがなかったのだが、「令和6年能登半島地震で被災された皆様には心からお見舞い申し上げます」と一言付け加えておいた。お前も被災者だろ、と言われればそうなのだが、顔も見たことのない同僚の中にも心を痛めている人もいるかもしれない。少しでも慰めになればいい。上長や同僚たちにもチャットで連絡する。とりあえず今週いっぱいは出勤できない。家族のサポートに専念すると伝えた。ありがたいことにすぐに返信が返ってくる。

W市の友人からLINEが届く。とりあえず無事だが安否確認に忙しくしているようだ。焼け野原となったあの地域からもそれほど離れていない自宅は、元々モノが多かったこともあり足の踏み場もない状況。道路には大きな地割れ、土砂崩れが流れ込み、電柱は倒れている。車で避難などできる状況ではない。引き続き彼らの安全を願っていると返信する。なんという惨状だ…

妻と食事を済ませてから、年末よりK沢に来ている義理の両親に会いにいく。こんな状況だからこそ娘とは頻繁に会わせてあげたい。私たちの結婚も実は2024年の春でも良いのではないかという話もあった。そこを妻が押し切って2023年の秋に早めていた。もし遅らせていれば、彼女も彼女の家族も年末に金沢にくることはなかっただろう。地震がくることを知っていたわけではないが、結果として皆の命が助かることになった。すでに出回っている報道写真や、現地にいる友人たちが送ってくれた写真から、全壊と思われていた妻の実家がかろうじて形を保っていることがわかった。ご近所は地震や津波の影響で全壊している。生き埋めも発生しているらしい。あちらの友人やご近所さんの名前が家族の間で飛び交っているが、私には全くわからないのでスマホで情報収集を続ける。義理の両親とは引き続き情報交換をすることを約束してその場を後にする。

私の実家の母親より断水の知らせが届く。家屋の被害はないものの、水が出ないのでバケツに貯めておいた雨水でトイレを流しているらしい。それよりも山奥に住む高齢の祖母が川の水を沸かして飲むと言って聞かないらしい。K沢市郊外の実家がある地域ではすでに飲料が売り切れていて何も手に入らないそうだ。急いで車を方向転換して市内に向かう。妻と相談して最寄りのドラッグストアに駆け込む。店内を見回すとパンの陳列棚が見事にすっからかんになっている。大容量のペットボトルの列を探し回るが、残念ながら立ち入り禁止になっている。ミネラルウォーターも売り切れ。母親にお茶でも良いかと写真を送ると問題ないとの返答。2リットル入りのお茶を2ケース買って郊外へと急ぐ。

実家の玄関を開けると、ミネラルウォーターが2ケースすでに置かれていた。なんとか買ってくることができたそうだ。地震発生時はこれまで経験したことがないほど揺れたらしい。父親いわく家が壊れるかと思ったとのこと。警戒心の強い飼い犬がゲージに逃げ込んだのを見計らって連れ出したそうだ。私の両親とも引き続き連絡を取り合う約束をしてその場を後にする。すっかりあたりは暗くなっていた。

カーナビのテレビを見ながら自宅に向かう。明日からは県内全域に雨が降るらしい。被災者生存の72時間のリミットが迫っている。生き埋めになっている人の体温がますます奪われてしまう。一刻も早い救助が求められる。

帰宅して夕食には昼間の残りのご飯を食べる。自宅に帰ってくると小さな揺れにも敏感になる。ずっと揺れている。今後一週間は大きな地震に警戒しなければならない。緊張が強いられる。iPadで作業していると、妻も隣で読書を始めた。気分転換にツイッターを開くと星野源がオールナイトニッポンを録音放送から急遽生放送に変更するとの情報が出回っている。TBSの爆笑問題カーボーイも生放送だろうか。被災者向けのメッセージを聞いておきたいと思う反面、疲れで起きていられるか心配だ。それに明日も忙しくなる。放送時間まで妻とお互いの家族のこれからのことをとめどなく話し合う。気づくと2人ともいつのまにか眠っていた。

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