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手と音でつながる

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目の前の生徒さんと向き合うコミュニケーションの方法、レッスンという形態への問いを探ります。
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#書評

#4誰でも音楽の才能に恵まれている

こんにちは。きっこです。 今日は以前から気になっていたクリストファー・スモールの「ミュージッキング 音楽は<行為>である」をご紹介します。「はじめに」に当たる「プレリュード」を読み始めたときから、共感と驚きで惹きこまれ興奮して一気に読みました。ピアノのレッスンに関わる方にはぜひ読んでいただきたいです。 音楽とピアノが大好きでピアノのレッスンをしている先生方でも、私のようにレッスンに中に居心地の悪さを感じる方はいらっしゃるのではないでしょうか。例えば、 ・小さな生徒さんの溢

#3「エチオピア高原の吟遊詩人」遠くて近い人たち

アフリカ北東部に位置するエチオピアの吟遊詩人アズマリは、マシンコという一弦楽器を演奏しながら、酒場などで即興で歌う音楽家のことです。そのアズマリの活動やアズマリを取り巻く状況を彼らの言葉を習得して共に生活した著者が語ります。 その姿はピアノの前に座り楽譜を開いて音楽を演奏する私とは、あまりにも遠く離れている存在に思えます。たくましくしたたかなアズマリの在り方は、厳しい状況に晒されることも少なくないけれど、音楽と人が近く、確定しない状態で場によって漂うように存在しているように

#2自分は正解を知っていると思っている人ほど陥りやすい

ピアノのレッスンは人と音楽によるコミュニケーションの場です。多くの場合、ピアノと指導者と生徒で三角形に向かい合い、言葉と音で、時には手取り足取りしながら、生徒によりよい音楽を作り出してもらおうと共に時間を過ごします。 この特別な時間をどのように過ごすのかが、生徒自身の音楽経験にそのまま繋がっていきます。そのコミュニケーションのあり方を伊藤亜紗著「手の倫理」をヒントに探ります。 *** ホームページによると著者の伊藤亜紗さんは、美学・現代アートを専門としていて、現在は東京