アマちゃんの頃
演劇を仕事にしたいな〜とぼんやり思っていたアマちゃんの頃。
お世話になっていた劇団の先輩に言われた
「平沢さん何やりたいの? ただここにいるだけじゃダメだよ」
この一言で目が覚めた。
自分が入っていた劇団ではダントツ最年少の自分は「この年齢でこれに興味あるの?すご〜い!」的なチヤホヤポジションで、いつも可愛がってもらっていたので、考えることをやめていた。というか生活に必死で一歩先を考える余裕がゼロだったのだ。
ピーク時は夜勤のバイトに入って朝まで働いて、山手線を一周する間だけ寝て(=60分)次の現場にいく。しかもその間で大学の講義の手伝いやら、国会図書館に行き資料を探して集め、自分の考えを提出するなどを続けていると脳のキャパが完全にぶっ壊れてしまっていた。
先輩はそれを見かねたのだと思う。
「平沢さん、一生、ずっとバイトしてこんな感じで生き続けるんすか?」
一番劇団に否定的でよく愚痴を言い続けていたけれど、一番メンバーのことを気遣ってくれていた。
「自分で食っていくには何かスキルが必要。君は何者でもないし何か突出しないといけない、一緒にやるメリットが無いとお金は払えないよ。」
本当に真理だと思った。
何者でもないやつに金は払えないし、価値がないと意味がないのだ。
そしてそれは焦らず今じゃなくて良い。
物事にはタイミングがある。
先輩は厳しいことをたくさん言ってくるのに、よく自分が興味ありそうなおもしろい仕事を振ってくれたり、事務所でIllustratorの使い方を教えてくれたり、最後には演劇に関係するようなバイト先まで紹介してくれた。
頭が上がらない。
先輩の事務所は赤坂のでっかいビルとビルの間にある小さい変な建物だった。ドアを開け狭い階段を登ると小さい和室があって、そこが先輩の仕事場だった。「祖母から引き継いだ家なんだ」と教えてくれた。
よくその事務所で作業をさせてもらった。先輩がパソコンをカタカタやる横で自分も先輩にもらった仕事をカタカタやる。
お互い別に何も話さずただただ作業をする。
事務所の小窓から氷川神社が見えるのだが、それが絵みたいで美しいなとよく思っていた。
そこで流れる時間は最高だった。
こんな感じでずっと仕事がしたいな〜と思っていたけれど、これは先輩がくれた執行猶予期間みたいなもので「どう生きるかはよ決めい!」ってことだと何となく感じていた。
なので就職することを選んだ。
バイトの自転車操業で生活は破綻していたし、毎月決まった額が貰えるわけでもない劇団というものを頼りにする働き方はガタが来る。
人と馴染めないとか、面白くない仕事やりたくないとかそういうことではない。別にやりたいことは働きながらでもやれば良いし、どの仕事にも面白さはあるからそれを見つければいい。それでもやりたく無くなれば辞めればいいだけだ。とスッと腹落ちした。
そんな感じで10年くらい経った。
時を経て、転職した会社の勤務地が赤坂でめちゃくちゃ懐かしくなって先輩の事務所を覗きにいったら、改装されて違う建物になっていた。
潰れたとかではなく、あの建物の佇まいを活かしながら改装して民泊もできるカフェになっていた。
先輩は新しいことに挑戦していた、なんて素敵なんだと思った。
ひとつの物事にとらわれず、もっと自由で、もっと楽しく、私も変わり続ける人間でありたいと改めて思った。
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