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東京エクストリームウォーク100 2024年5月

100kmを歩いた。
きっかけは、会社の上司、同僚が東京エクストリームウォークに参加する、と聞いたこと。
それは昨年だったか。
さきおさんも参加する?と聞かれた。
一緒に飲んでて、話題として聞かれただけなのだが、私の中で「100km歩く」という選択肢が生まれた。
それから、優柔不断な私は即決はできず、100km歩くって、自分にできるのかな?とか、やるんだったら練習しないとな、とか頭の片隅にほんの少しにあった。
それから1回目のチャンスを見送り(これは大雨で中止になったらしい)、2回目のチャンス、いよいよ上司や同僚が申し込んだとか、前日のホテルをとるか、とか言う話が出てきて、一念発起したのだ。
なんだかわからないけど、100km歩いたら何か達成できて、自分が少し変われるんじゃないかと期待してしまったのだ。

一緒に歩いたのは推活上司Mさん、金持ちキャラSさん、宇都宮在住Sさん、私が誘ったクールビューティーTさん、私含め計5人。
100kmは小田原城から外苑前の道のり、約25時間で寝ずに歩いた。(と言いながら、信号待ちで一瞬寝落ちした)
基本はゴールまで歩き続け、道中、イベントが用意したチェックポイントで30分くらいの少し長めの休憩、あとはルートにあるコンビニで飲み物、食べ物を調達しつつ小休憩をとりながら進んで行く。
8時前くらいに出発し、最初の難関は茅ヶ崎海岸〜辻堂海岸あたりの海岸沿いで、ビーチの砂に足がとられ、とてつもなく歩きにくかった。砂のせいでぬとっぬとっと足の捌きが悪くなる。道を舗装する重要性を実感。天気はすこぶるよく、昼間の1番暑いだろう時間、足元は砂で疲弊し、ここで私の足裏には水脹れができ始め、これがかなりのダメージになった。
この海岸沿いの後の35kmのチェックポイントに到着した。会社の別部門のKDさんが冷たい飲み物やアイスを差し入れてくれた。冷たさの美味しさたるや、この幸福感や感謝の気持ちは、こういう時しか感じれないかもしれない。
水脹れの痛みがあるが、「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせながら出発。

ビーチの砂地獄の海岸を抜け、昼間から夕方になり、夜になっても歩き続ける。
みんなで和気藹々と喋ったり、無言だったり、ぽつりぽつり話したりしながら進んでいく。
20時30分くらい、歩き始めて12時間くらいか、56kmのチェックポイントに到着。
パンとや水分等で栄養補給し、足の裏の水脹れをきれいにする。
休める安心感、しかし休んでまた歩き出せるかと言う不安。
足は水脹れでずっと痛い、このまま歩ける自信がなくなり、断念するという気持ちを片隅に持ちながら、仲間が行くと言うので重たい腰をあげ、軋んだ足を動かす。

この後は痛みはもちろん、ひどい眠気にも襲われた
信号で止まった時に寝おちしたほどだった。
ひたすら歩いて深夜、横浜あたり、周囲にちらほらと参加者はいて、グループだったり、個人だったり。
なんでみんなこれに参加したんだろうな、、とか早く終わりたいな、やめようかな、でもここまできて、とか頭をぐるぐるする。
途中で急に、イケるかも!と元気になって先頭を歩いたり、萎んで遅くなったり、、
時間の流れも遅く感じる、こんなに歩いてるのに、という体感とはうらはらに、時は進まない。

静かな深夜、行き交う車は少ないものの活動の気配はある。民家の窓も光を灯している。足は痛く、直ぐにでも辞めたい気持ちが起きてくるが、ここでリタイアしても家にすぐ帰れる訳でもないしな、、と、変な諦めを感じながらとぼとぼと歩く。

ようやく夜を抜け、夜明け。空の移り変わりの美しさが少し支えになる。早朝、やっと東京の知ってる地名が出てきた。

蒲田あたりで偉い上司Nさんがお菓子を持って応援にきてくれた。
こんな朝早く、わざわざ来てくれる人がいるなんてありがたい。これも推活上司Mさんの人望かなと思う。
偉い上司Nさんの別れ際、私は道のポールに突っかかり転んで右足を軽く負傷した。(後から見たら擦りむいてた)べそをかいてた私を慰めてくださった。
自分子供かよ!と思う反面、嬉しかったりした。

あともう少しでゴールと言う気持ちを持ちながら、黙々とあるく。

朝、日も上がってきて、東京タワーあたりまできた。
あと少し、あと少しと、上り坂を上がっていく。

ゴール地点の外苑前までやってきた。
外苑の入り口からゴール地点までも長い。
まだつかない、まだ、、、すぐそこなのに、、、と、最後の気力を振り絞り足を進めていくと、ゴールらしき場所が見えてくる。
やっとゴールだ、とみんなと手を繋いで同時にゴールした。手の温もりを感じた。
終わったという達成感はあまりなく、もう歩かなくていいと言う安堵感。そして、それよりも足が痛すぎて、帰れる気がしない。
どうやって帰ろうと次の課題に直面する。

ゴール地点にある医務室により、足を診てもらい応急処置。
慣れないタクシーをつかまえ、家に帰った。

歩いている間はいろんなことを思ったり考えたりしたけど、今となってはぜんぜん思い出せない
辛すぎて、醜態をみんなに晒してしまった。
私は子供を産んだこともないから想像だが、お産のときの切羽詰まった姿をみんなにみせてしまったような感覚、ふと思い出した時、今でも恥ずかしい気持ちがよぎる。
私は大きめの病気をして闘病生活をおくっていた。結構辛い思いもしている、しかし、こんな辛いことはないと思ったし、みんなにもそう言った。
(冷静になった今だと闘病生活のが十分に辛い、「看護師さんが辛かったことは人間忘れるから」と言っていたので、少々薄れてるのかもしれない)
これを思えば職場の人間関係の辛く煩わしいことなんてちっぽけかもな、とも思った。(しかし、今思うと、それとこれとは別物)とはいえ、この100km歩くことは今までの経験に疑問を呈するくらいには刺激的な体験だったんだと思う。

さて、私は100km歩いたら何か達成できて、自分が少し変われるんじゃないかという期待をしていた。しかし、実際はそんなことはなく、達成しても、そう都合よく変われないことがわかった。みんながいたから歩けたのだから、自分自身の変革は、また別の経験でできたらと思う。

差し入れと応援下さった偉い上司Nさん、別部門のKDさん、ありがとうございます。わざわざその場所に来てくださる優しに元気をいただきました。
一緒に歩く時間をともにした、推活上司Mさん、金持ちキャラSさん、宇都宮在住Sさん、私が誘ったクールビューティーTさん、感謝しかない、どうもありがとうございます。
辛かったけど楽しかった。
また次回歩くかと言ったら歩かないけど、もしかしたら、またあの辛さが薄れ、もう一回となるかもしれない。









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