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「萩尾望都がいる」と岡田史子そして、花の24年組

光文社新書の「萩尾望都がいる」

実はこれともう一つ集英社の宣伝雑誌「青春と読書」の次号を買いました。雑誌の方は実は中古品でもうすぐ届く予定です。どうしても手元に残したかったので。

まだ届いていないけど先に図書館で読んで鬱決定した理由などから。。。問題の号は2022年8月号。先に書いておくとこの号、映画「アキラとあきら」のガイドブックが付属しているせいで一般流通からは消えていて、あとは中古での購入した手に入れる方法はありません。現時点では書店在庫がゼロだそうです。まぁ、それでも書店で注文をかけるとたまに地方で残っていたのが返品されて在庫復活なんてこともありますので、中古市場すら手に入りそうもなかったらそこに望みを託すのもありです。

問題は「四方田犬彦 わたしの神聖なる女友だち⑤」こういうタイトルなので書かれているのが誰なのかが全く分からないのですがあの岡田史子さんとの出会いから彼女の死までが書かれていて、それが実に衝撃的な内容だったんです。

この花の24年組に関しては「萩尾望都がいる」に詳しく書かれていますが、それは後程。まずはあの萩尾望都さんも注目されていた彼女と同じ年の岡田史子さんが一人誰にも看取られずに他界していてそれも死後数日後に発見されるまでの四方田さんがわかる範囲、またはかける範囲でその道のりが書かれていました。

早熟ゆえに他から理解されずに孤独死をしてしまった彼女。彼女の場合多分他からの手をはねのけた結果でもあったのでしょうが、あまりにも悲しすぎる最期でした。このあたり内容に触れすぎてもあとで本になる可能性も無きにしも非ずなので書きませんが、あまりに壮絶な生涯でした。

これを読んですぐに思い出して出たばかりの「萩尾望都がいる」を購入したのですが、先の衝撃にこの本が加わってしばらく軽い鬱状態が続いてしまいました。

というのも、私は普通にその時代の漫画を読んできただけなのに、なんという壮絶なものとかかわってしまっていたのかという事実が過去のいろいろなことを思い出して鬱状態になったんです。あ、基本、私の精神は強いので心配はご無用です。鬱になっていることを自覚しながら冷静に自己分析もしていたのでそれはそれでよい経験でしたから。

話題になった「一度きりの大泉の話」私は24年組よりもう少し下の世代でしたので24年生まれ前後の方とは感じ方が違うでしょうが、あそこで書かれていたことにリアルで接していました。接していたと言ってもマニアに対して言われていたとか、あの描写はどうのとかマニアが言っていたとか、そういうのをリアルで体験しただけですが、でも、あの時代感は感じていました。そういう意味で私よりも下の世代で尚且つ男性の方の書かれた「萩尾望都がいる」にはいくつか違和感を感じました。

あの時代、安保やいろいろなものがそばにあって、それこそオーム真理教や原理研(統一教会)のお誘いが普通にあって、まだまだヤクザの抗争事件があって、海外からはヒッピーだのフラワーチルドレンだのといろいろなものがなだれ込んできて、新宿を歩くと傷痍軍人さん方がたくさんいらして、絶対に繊細さんには耐えられない日常が続いていました。

大泉学園はそれでもそこからはちょっと離れた田舎ではあっても、打ち合わせなどで神保町に出ていけば私より年長の皆様方はそれこそ多くのいろいろなものを感じていらしたと思います。あの時代の中での24年組と呼ばれる方々の置かれた環境、雰囲気、時代感。そこまで含めての再評価はまだないと感じました。私は世代が下ですし、ちょっと都市部からは離れていたので知っていることはあまりに一部です。でも、まだ何か書かれていないことがある。でもそこに触れることが良いのかわからないという気がしています。

「萩尾望都がいる」の中で感じた違和感は特に竹宮恵子さんに関しての部分でした。彼女にかかわる部分で大きなカケがある。それが判断を誤らせていると私は感じました。あの「一度きりの大泉の話」出版の後に竹宮恵子さんの実の妹さんが書かれたブログ、今はもう削除されましたが、そこを読むと私が「萩尾望都がいる」での彼女に関する記述に違和感を感じたのがわかると思いますが、今となっては無理ですね。違法転載は私も認めませんし。

少し話はそれますが中国で先ほど公開されたドラマ「天才基本法」が面白かったです。並行空間を行き来する話なのですが、片方の世界の主人公は天才少女、もう一つの世界の彼女は普通の女の子。それに彼女のお父さんと彼女の恋人がいて、それぞれの世界で天才だったり、天才ではないけど努力でかなりの部分まで行けるレベルだったりして、いくつかのアイテムで行き来してしまうのですが、そこで天才と努力で天才にかなりのところまで近づける人というのが出ています。

まるで天才の萩尾望都さんと努力でかなりのところまで近づける竹宮恵子さんを思ってしまいます。ドラマではあと一歩がどうしてもいけない絶望的な距離があります。ドラマでは天才でなくても努力することが素晴らしいという、まぁいかにも中国的な教訓で終わるのですが、あと一歩で手が届きそうだけど届かない焦燥感は理解できますし、そこに手助けしようかという声に救いを感じたのではという気もします。

他人の精神的なことにあまり深く立ち入る気はしたくないのですが、私は竹宮恵子さんもものすごく好きですし素敵な方だと思っています。だからこそ「萩尾望都がいる」での彼女の書かれ方には違和感を感じてしまいました。


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