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写真は去年、華道教室の先生が活けたもの。

華道家の先生が花を活けるところを見ると、母のことを思い出します。
亡母も別流派の師範の資格を持っていました。
なにかと作法などに口うるさかったのですが、大人になってようやくその躾の意図がわかるようになってきました。

帯を締めるとき、来客に平伏し畳を見つめるとき、来客前の打ち水、花器に水を満たすとき、茶室の炉に炭をおこすとき。
書道の墨を擦るときや、弓道の残心…。

習ってきたことの一つ一つにそのプロセスを欠かせない理由がありました。
子供の頃は煩わしい暗記対象でしかなかったそれらが、やっと本当の意味で理解できるようになってきました。

作法とは対象に心を向けること。

思い遣りや丁寧さとは程遠い生き方をしがちな今、母が生きていたら私を厳しく叱責するでしょうか。

玄関を上がるなり仕事道具や夕食用に買ってきたお弁当を投げ出すように置いて、だらしなく床にへたり込みしばらく動けない私のことをきっと母は許さないでしょう。

『衣食足れば則ち栄辱を知る』とはよく言ったものです。コロナのせいで仕事に大きな影響を受けた今、私は生きていくだけで必死。
でもそれでは殺伐としてしまいます。
「余裕の無いときこそ、優雅に涼やかに振る舞いなさい」と頭のなかで母の声が。

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