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デジコン運営したおー


初めに

こんにちは、こんせんぎゅうにゅうちゃんです。アドカレの裏の12日目ですね。めんどくさいのでリンクとか昨日の記事が誰とかは書きません。自分たちで調べてください。来年の環境が楽しみですね。


みなさん、最近の調子はいかがですか?Twitterの熱もひとまずおさまって、みなさん各々で友達と遊んだり趣味に勤しんだり勉学に励んだりしていると思います。
私もここ一年ぐらいはそれなりに趣味や課外活動に打ち込んでまいりました。

そこで、今回はここ一年間のデジタルコンテンツ研究会の運営方針や、運営の動向をかける範囲で書いていこうと思います。
それに伴い、まず皆様に謝罪しないといけないことがあります。というのも、デジタルコンテンツ研究会は外部との交流やイベント参加など盛んに行なっている団体です。それ故に他団体に起因するトラブル、反対にこちらがご迷惑をおかけしてしまった事案などいくつかございます。それらについてはあんまり記述致しませんので、ご容赦ください。


もう一つ、団体運営には個人のやらかしがつきものです。いくつか記述することと思いますが、許可は取っていません。その為個人名は伏せて記述していこうと思います、その点お許しください。また、この情報は全く裏を取っていません。分かりやすさのためにあえて間違った記述をしている箇所もあります。全部嘘だと思って、SFかなんかの類だと思って読んでください。

でじこんはおそらくその勢いややらかし度やその他多くの点で他に類を見ないサークルでしょう。そんなデジコンの運営で私たちが感じていた苦悩や楽しさをなんとなくでも察していただけることを祈っております。また、みなさんがいつか団体の運営や何かのグループワークなどする時に少しでも足しになればと思います。目次長ッ!

そもそもデジコンとは

デジコン(デジタルコンテンツ研究会)とは本学の創作サークルの一つです。イラスト、動画、DTM(音楽制作)、プログラミングを主な創作分野とし、幅広い創作ジャンルと初心者から上級者まで多くの創作者が集まる規模性を強みとしています。学園祭への出展やコミケ・M3への参加等、イベントへの参加が多く、アウトプットの場が用意されている事も特徴として挙げられます。

ここではそんなデジコンを運営サイドから見てきた私のデジコン運営側でのここ一年ぐらいの歩みを記述していきます。

現体制の起源

まず、我々の世代が運営を引き継ぎ始めたのは昨年の11月ごろです。
世田谷祭が終了してしばらく経った頃、その当時会長だったYM氏が次代の会長候補を選出しました。
その時点では私とS氏が指名され、2人で話し合い、S氏を会長、私が副会長候補として新体制の構築が始まりました。ここで2人で今後の団体をどうしたいのかを熱く話し合った事を記憶しています。青いですね。S氏は運営幹部構想を打ち立て、体制作りが始まりました。ここで、そもそも幹部構想とはなぜ生まれたのか、その背景について少しお話いたします。

YM氏の体制

22生入部以前

ここでは、昨年のYM氏の運営体制について軽くお話しておきましょう。YM氏統治のデジコンはYM氏と会計の2名のみの体制で、YM氏がアクセル、会計がブレーキを務めるような単純な運営構造でした。そもそも、彼らの世代が運営を任された一昨年の今頃はコロナ禍の中にあり、またデジコンの会員数や活動規模も現在と比べると比較的小規模なものでした。
コロナ禍により大規模な運営体制ノウハウが消失していた事、団体規模が今よりは小さかった事、以上の2つの要因から運営がほぼYM氏のみで執り行われていたことはある意味自然なことでした。

22生の流入


しかしながら、私たち22生が大量に入会した事、コロナ禍による大学の制限が緩和されたことで事情が変わりました。
私たち22生の大量入会はコロナ禍であってもオンラインで活動を続け、新入会員獲得に尽力した当時の運営の功績と言えます。
また、人数の増大したタイミングに合わせて学園祭の復活が重なり、デジコンはそれらの行事へのフル参加を行いました。
当時一年生であった22生のデジコン内での活躍は目を見張るものがあり、多くの優秀な創作者が生まれました。また、多くのイベントへ参加することにより、デジコンの知名度は向上し、勢いのある団体として一定の地位を得る事に成功したといえるでしょう。

団体のひずみの増大

急激な活動量の増加や人員の流入に対して、運営体制を整える暇はなく、この段階であっても基本的にはYM氏一人の運営が続いていました。また、先輩の数と新入部員の数の大きな差は、団体の文化や性格を伝える事が困難なレベルに達していました。フル参加していた学園祭等の行事も実際のところ創作を行っていない22生が企画したものが混在しており、文化が継承されないままに進んだデジコンは創作サークルとしての性格を保っているとは言い難い状況でした。また、イベントの多さに対して運営の強化を行う暇がなかったことから、いくつかのイベントではトラブルが発生する事があり、増大した規模感に対して、運営体制の貧弱さが弱点として露呈し始めていました。

世田谷祭で露呈した問題点

上記したような歪みが分かりやすく現れた例としては22年の世田谷祭の時期が分かりやすいでしょう。
この頃には創作をしていない会員や野次馬的に入会していた22生の多くが幽霊部員化していた為、団体所属人数と実働人数が乖離しており、団体の本当の規模感が測れない状態でした。しかしながら、運営は依然YM氏個人である為リソースの関係からその規模感の変化や、団体内の性格の変化に対応する暇はありませんでした。世田谷祭でもステージと教室の企画へフル参加をしましたが、その企画量を賄える体制や実働人数は到底賄えていませんでした。結果として準備不足や会員への説明不足により、複数のルール違反で世田谷祭実行委員会や放送会へ迷惑をかけ、団体としての信用を大きく落とすことになってしまいました。私も1年生でしたが、かなり色々な事を任され、貴重な経験であった一方でルールの周知が無い為、無知であるが故のルール違反も多く、すべての準備がギリギリだったことを覚えています。
ここで一つ記述しておきたいのですが、これはYM氏個人の責任ではありません。会員の多くが体制の歪みや無理を察していたと思います。それでもYM氏のエネルギーに任せ、彼ならなんとかしてくれるだろうと甘えていた私たちにも責任があるでしょう。
とにかく、私たちが運営に参加したのはそんなデジコンでした。


幹部構想

さて、団体の規模感の変化や創作内容の多様化、それに対して創作をしない人の流入や運営の貧弱さ等、急拡大したが故に歪みが大きくなってた事はお分かりいただけたと思います。そこで新会長となったS氏はまず、運営体制を整えるべく幹部構想に着手したのです。

幹部の内訳

幹部と言ってもその役職や役割も一から考える必要があります。
会長のS氏はこの時期のかなりの時間を幹部構想に費やして、副会長と会計に加えて各創作班に班長を設ける運営体制を考案しました。
下に示した図が構想の概略です。

分かりづらくてごめんネ

旧来の2人での運営から、各班のイベントや渉外、学祭等を分担して相互に補佐することで安全な運営を実施しようとしました。
会長はS氏、副会長は私と後に追加される形でYS氏、会計にT氏、プログラミング班長に前会計、動画班長がKS氏、イラスト班長に前会長のYM氏、DTM班長にajiくん。
このような合計8人の体制で民主的な合議による運営を構想し、一人づつ交渉していきました(多分)

運営の難しさ

交渉が始まったころ? すでに終わった頃? の12月にようやく会員全体に新体制が告知されました。この時は既に大学主催の代表者向けの講習会は既にS氏が受講を済ませていたり、新体制の準備はかなり進んでいたはずです。
真に民主的な運営を行うのであれば、会長選出段階から全てを立候補と投票で決定するべきです。ではなぜデジコン新体制は水面下で進んだのか。正確な理由は私も知り得ませんが、団体の責任者決定の定石として立候補制にして、やべえやつが立候補したりすると困るみたいな話はあります。実際私が知る限りの他団体は前運営がその人の考え方や団体に対する態度を精査して次の運営を水面下で組織しています。
特に、当時のデジコンはイベントサークル的側面を持って居た為、創作サークルらしさを維持するためにも、慎重な体制構築が進められていました。
しかしながら、水面下での決定やその事情は当然会員には知り得ない訳で、一部から独裁的な新体制の設立であると非難を受ける事となります。
その時は改めてgoogle formで決を取り、結局新体制に変化はありませんでしたが、運営の内情や本音を伝える難しさを私自身が実感した思い出として印象に残っています。

デジコンの課題

さて、新体制になり、運営としての体裁がひとまず整えられました。そうすると前体制で浮かんでいたその他複数の問題点の解決に移ります。
12月~1月時点で運営が認識していた課題として「でじこんちゃんの不在」「定例会の人数の減少」「団体のエンタメ性重視」がありました。ほかにも何かあった気がしますが忘れました。

でじこんちゃんの不在

これまでのデジコンの勢いの要因の一つとして「でじこんちゃん」の活動がありました。でじこんちゃんはデジコンのマスコットキャラクターとして創作の題材になるだけでなく、学園祭でのグッズ化や定例会での司会進行といった多くの分野でデジコンの勢いを支えていました。しかしながら、定例会でのでじこんちゃんには中身がいます。当然です。中身の人間の事は詳しく話しませんが、とにかくその中身が新体制が始まる少し前には既にいなくなっておりました。その埋め合わせの為、2代目のデジコンちゃんが現れましたがこれも長続きせず、新体制発足時にはすでにでじこんちゃん不在の状態でした。
新体制はデジコンの勢いの象徴であったでじこんちゃんの不在は解決するべき課題と捉え、新しい方法を模索し始めます。

定例会の人数の減少

デジコンでは定例会を毎週行っていました。ここでは会員の作品紹介が行われ、デジコンの活動の場として初めは多くの人が集まっていました。
しかし、創作をしない人間や野次馬は興味をなくし段々と離脱、それだけでなく創作を行っている人もだんだんと参加頻度が落ちていきました。
定例会がデジコンの活動の代表である以上、その参加者が減っている現状は改善するべき課題とされ、新体制にて原因の分析と改善への施策を考えることになります。

団体のエンタメ性重視

デジコンに大量流入した22生や多くのイベント参加を要因として、創作サークルであるにも関わらず創作者をイベントのツールのように扱う企画が横行していました。定例会も面白さを重視して作品紹介の意義が薄れている等、エンタメ性を重視するあまり、創作サークルとして重要な「創作」が軽視されていました。
新体制ではこれを創作者重視の活動に戻す方針で運営を開始します。

様々な施策(1~3月編)

定例会の有識者制

定例会はデジコンの活動の柱の一つとして週に一回オンラインで開催されています。しかしながら、でじこんちゃんの不在や人数の減少、創作物紹介の意義を果たせていない事等複数の問題を抱えていました。
新体制下では、作品紹介の際に専門性を持たせるべきとの意見から、各班の有識者に定例会に参加してもらうことで、専門性の高いフィードバックを提供、創作者の定例会参加に対するメリットを作る事で人数の減少を抑えつつ創作サークルとしての性格を強化しようとしました。しかし、毎週の活動に必ず参加する事はハードルが高く、有識者で定例会を回せるコミュニケーション能力を持つ人員を常に集める事は至難の業でした。更にこれまで2人で回していた定例会が有識者を加えた3人での定例会進行に代わる事はオンラインということもあり難易度が高く、会話が被ったり逆に誰も話せなくなったりするなど、進行が上手くいかない事が多くなってしまいました。また、定例会の配信画面の引継ぎを済ませていなかった事もあり、配信としての見栄えは良いとは言えませんでした。幹部内では他にも色々な原因を上げていましたが、ここでは面倒なので省きます。
とにかく、これらの要因により更に定例会参加者は減少。最終的には司会進行と有識者の2名体制に変わりましたが、どちらにせよ人員不足は解消せず、また定例会の参加人数の減少によるコメントの減少によって定例会の進行はますます難しくなりました。定例会の専門性を上げるという意味では今でもたまに有識者に話を振って話してもらう事はありますが、全体の勢いや本来の目的に対して、この施策は成功とは呼べない結末を迎えました。

でじこんちゃんの復活

定例会で有識者の配置等、創作者の方にメリットが生まれるような施策を行う一方ででじこんちゃん復活も検討が続きました。これは、様々な考えや意見が交錯している為、客観的にお伝えすることが難しいです。私から見たでじこんちゃん復活計画の顛末になりますので、すべてを信じないようにお願いします。
そもそも、でじこんちゃん復活は諸刃の剣でした。というのも、1代目が引退し、2代目へと進めるにあたってでじこんちゃんが居る事だけでは根本な解決にはならないと運営…少なくとも私は認識しました。
2代目のでじこんちゃんが悪かったとかそういう話ではありません。1代目とYM氏が上手すぎたと言った方が正確かもしれません。"1代目のでじこんちゃんの上手さ"を"でじこんちゃんの上手さ"だと曲解して、でじこんちゃん復活によるデジコン定例会の復活を妄信していたのは運営の失態と言えるでしょう。でじこんちゃん復活に向けた議論は1月ごろに起こりますが、「とにかく勢い付けのためにでじこんちゃんが必要だ」という幹部もいれば「でじこんちゃんをいたずらに復活させても現状に変化はない」という幹部もおり、1~3月ごろは日夜運営内で激しい議論や提案が続きました。結局、全体での合意無きままに、なし崩し的に復活の既定路線が組まれ、3代目のでじこんちゃんが生まれます。3代目は新入生歓迎会の声当てから活動を開始しましたが、定例会への参加はありませんでした。なんでなかったのかは覚えていません。 定例会ででじこんちゃんを登場させるために必要な技術を3代目に教える暇がなかったような気もしますし、誰かが断固として反対していたような気もします。
結局このでじこんちゃん復活も立ち消えになり、その後は新入生への対応や学祭、コミケ準備が始まることででじこんちゃん復活の計画は停滞しました。現在もでじこんちゃん復活については明確な方針が定まらないまま先延ばしにされています。4代目のでじこんちゃん中の人の選定が夏頃に行われていたのですが、その話も学園祭の準備やコミケの準備等で曖昧になり、あまり議論の的に上がってきていないのが現状です。

さて、私の文章の曖昧さや歯切れの悪さから察していただきたいのですが、でじこんちゃん復活を含めた定例会の改善は幹部内でも意見が割れて揉めまくっていたという事になります。現在でもおそらく運営内での意見は統一されていません。復活の是非を含めて今後も議論が続くでしょう

あまり私自身の考えをここで書くことは適切ではないと思うんですが、あえて言わせていただくなら、でじこんちゃんの定例会復活はその場しのぎにしかなり得ないと考えています。勿論復活のニュースはそれなりのインパクトを持つと思いますし、デジコンの宣伝塔としての役割も大きいでしょう。定例会の雰囲気も幾らか明るくなるかもしれません。しかし、そもそもの創作サークルとしての側面を大切にしたいという新体制の方針とは反対のエンタメ性重視の施策ですし、とりあえずで復活させたところで、決して1代目の時のようなでじこんちゃんは生まれないと考えています。無理に復活させた不完全なでじこんちゃんと口下手な私の進行で果たして皆さんが思い浮かべる「でじこんちゃんがいた頃の定例会」は生まれるでしょうか?YM氏と1代目の作る定例会はある種の奇跡で、でじこんちゃんが居たことは定例会が盛り上がる根本原因では無かったと考えています。でじこんちゃんの復活は定例会を盛り上げる手段として存在していたのに、どこかででじこんちゃん復活そのものが目的にすげ変わってしまっていたような感覚があります。

外部案件

デジコンでの活動では学園祭やコミケ・M3があるとお話しましたが、運営では他団体との交流や案件を受ける事で団体の信頼回復に努め、かつ新たな創作物のアウトプットの場を設けようと考え、大学の他団体から案件を試しに一つ受け付けました。これは他団体の話…というか悪口を言う羽目になるので詳しい話はしませんが、結局失敗しました。この件で私が話せる事としてはしっかり要件定義というか、依頼を受ける時は契約書なり何かしらの方法で案件の条件が途中で増えたり減ったりしないように慎重な調整をする必要があったなと、あんまり話すと怒られそうなので止めておきます。
とにかく、この施策は運営に負荷を与えるだけ与えて特に実りが無く、失敗に終わりました。

新入生を入れる

でじこんちゃん復活と定例会改善と外部案件と色々とごった返し、すべてが停滞していた3月ごろに新入生歓迎会の準備が始まりました。昨年の22生大量流入のようには行かずとも、とりあえず人を集める事は団体運営において必須とされ、履修相談会やプレゼントで釣ったりと、各団体必死です。デジコンでも、団体紹介時にふざけた事をして新入生の記憶にデジコンを残そうと企画を立ち上げました。面倒なのでその内容は書きませんが、久しぶりにエンタメ全開だな…としみじみと実感したことを覚えています。
結果として、それなりにウケて沢山の新入生が入会の相談に来てくれました。ただ、ぶっちゃけた話をするとこの時幹部の面々はやらかしたと思っていました。先ほどから「創作サークルとして」みたいな文面がたくさん出てきたようにデジコンの新体制は創作サークルとしての側面を重視していました。しかし、相談に来た新入生は、誤解を恐れずに失言するなら絶対創作しないような陽キャが思っていたよりも多かった印象を持ちました。見た目で判断するものではないとは思いますが、実際我々はこの勧誘はやりすぎたか….と反省した記憶があります。
まぁ、今になってみると、創作を楽しんでくださる一年生の方もそれなりにいらっしゃって、結果オーライと言えるかもしれません。

幹部→運営の変革

さて、1~3月期の運営の施策について代表的なものをいくつか記述しましたが、他にもできる事をいろいろと試した記憶があります。我々も必死でした。しかしながら、見て頂いた通り効果は芳しくなく幹部の中には停滞感が広がっていました(少なくとも私はそう思っていました)。そんな中で、幹部体制そのものにも色々改善点が生まれ、ここで一度大きな変革を行うことになります。

停滞感と幹部制の矛盾

上記の通り、運営内では停滞感がありました。そして幹部制にも問題点が生まれていました。というのも、全てを結局会長のS氏が把握、リマインドしてミスを防いでいた為、会長の業務量は膨大なモノへと膨れ上がっていきました。ミスを減らすという意味では正しいかもしれませんが、これでは全部ひとりで行っていたYM氏の時と比べて業務量は減るどころか一つ一つ幹部のしている事を把握する分で増えていました。更に行っていた施策も停滞、こうなると会長は負担だけ増えて何もうまくいかないような状態になっていきます。

会長の限界

会長としての業務量は限界、結果も出ず、更にその事情を把握しきれない幹部は新たな仕事を増やしてきたりします。S氏と学科も同じで副会長も務めていた私はその立場上S氏から相談を受けたり愚痴を聞く機会も多かったのですが、12~1月ごろは方針の悩みといった建設的な相談が多かったのに対して2~3月へと時が進むにつれ、S氏自身の限界であることを訴えるような愚痴や相談が次第に増えていった事を覚えています。勝手に愚痴の傾向を書いてごめんねS氏。
それに対して私は危機感を覚え、一度幹部の間で話し合いました。会長の負担が増大している事、幹部制を取っているのにすべてを会長が管理していては仕事量の増大でいずれ運営が成り立たなくなることを力説したような、してないような気がします。
とにかく、幹部制の行き詰まりを訴え、これまでの幹部のやる事を会長が全部把握する仕組みから、各々のイベントは責任をもって各幹部が執り行うように意識を徐々に変えていく事に決まりました。このやり方ではYM氏の頃と同じでバックアップが利かず、その一人がミスしてもだれも気が付けない状態になります。しかし、会長のこれまでの負担を鑑みると、暫定的にでもこうせざるを得ない状況だったと記憶しています。勝手にいろいろ書いてごめんねS氏。

運営にしよう

それとこの頃は幹部内での仕事で精一杯であったため会員との距離が遠のいていたと感じていました。それに付随して「幹部」というと偉ぶっているような感じがして感じ悪いので「運営」にしようという話になり、呼び方を意識的に変えました。くだらないと思う方が多いと思います。しかし、初めての事ばかりで、全て手探りの当時の私たちにとってはそういった些細な事でも重要に思えました。それだけ真剣で、余裕が無かったんでしょうね。
本筋とはあまり関係のないエピソードですが私の中で印象に残っていたため紹介させていただきました。

運営になる

そして運営となった私たちは各々が各イベントを実行して、その報告のみを運営で行う形に移行します。当然の如くこの後の施策やイベントも失敗まみれですが、各々奮闘してデジコン改善の為に進んでいきます。

分かりづらくて(m´・ω・`)m ゴメン…

様々な施策&イベント(4~7月編)

新入生をなんとかしよう

さて、運営制になったといえ考えなくてはいけない課題が無くなったわけではない訳です。目下の課題はまたもや大量に流入した新入生です。おおよそ80人ぐらい?入ったと思いますが、先ほどお話した通り、創作サークルとしての方針が揺らぎかねない、イベント目当てのような新入生も多く入っていました。今になって考えると馬鹿な施策ですが、運営の新入生担当はうまくふるいにかけて”創作サークルのデジコン”に残りたい人だけを残そうと考えました。その為、新歓のエンタメ重視な楽しい雰囲気とは変わって、最初の一年生が来る定例会では軽くサーバーを紹介して普通の定例会をやり、最初の対面活動も下手なレクリエーション等は実施せずに各班先輩に話を聞け!と丸投げするという方法で、デジコンが創作サークルである事を強く主張しようとしました。
しかし、少し考えたらわかる事です。
3月時点で創作者も来る人数が減っていた定例会をそのままやったら、創作者たる一年生も当然いなくなるわけですし、最初から仲良くもなんともない班の先輩と無理に話をさせても大抵の人は別に楽しくないのです。この頃はデジコンが取るべき方針にとらわれすぎていて、もっと大切にするべきだった”会員が楽しめる場所作り”がおろそかになっていたと反省しています。
結果として、入ってきた人数は多かったのにも関わらず定着した一年生はごく少数にとどまり、定例会もますます人が来なくなりました。手痛い失敗です。

M3

M3というのは音楽版のコミケみたいなもんです。違うかも。
これはおそらく初めて運営の方針に則ってDTM班班長のajiきゅんがメインで実行したイベントです。そうなると最早私はどこで何が作られ、どこの会場に行ったのかすら知りません。
知らないというのは本来ありえない話です。本来の運営では各運営者が「報告」を行っていたはずです。ここで早くも運営の弱点が露呈します。報告をしても実行するのは運営の一人ひとりになる為、わざわざ報告しようという気にならないのです。また、報告を受ける側の他の運営者も自分の受け持ちさえできていれば良いという感覚になり、他の運営者の報告を見なくなります。縦割りの大企業みたいな感じと言えば分かりやすいでしょうか。
結果として、M3ではトラブルが一つ起こってしまいました。内容は伏せますが、外部に大きな迷惑をかけたりしたわけではないです。とはいえ、運営の分担の弱点はここで露呈していたと思います。しかし、先ほど述べた通り、今更またS氏にすべてを把握させるわけにもいきませんし、ここでは運営制度そのものに異を唱える人はいませんでした。これが後に大きなやらかしにつながります。

学園祭の始動

この5~6月のタイミングで横浜祭と世田谷祭の初回の説明会がありました。事情を知らない方は早いと感じるかもしれませんが、学園祭というのはそのぐらいの大事業なんです。実行委員会の方はかなり前から動いてくださっているんです。アーメン。
この学園祭は横浜祭を私が、世田谷祭をもう一人の副会長のYS氏が担当することになり、これも基本的に完全に分業した状態で進みます。

LINEスタンプ

新入生をなんとかできなかった後、YM氏がもう一度対面活動を実施して、LINEスタンプを作ろうと提案して新入生のイラスト班に創作の機会を作って下さいました。やはり、旧体制で一人デジコンを盛り上げたカリスマ性は伊達じゃないと感じました。これもYM氏個人が担当、他の人間はそれについてほとんど関知しません。
結局この企画は途中で急に進みが悪くなり、辛うじて秋口には完成させたものの、本来の目的であるイラスト班の定着といった意義は果たせなかったと言えます。これもスケジュール管理を一手に担っていたS氏の管理が無くなったからこその弊害と言えるかもしれません。

コミケも始動

コミケも始まります。これもYM氏が担当。一年生の創作の場としてここでも色々な事を試し、23生を制作に加えるなどしていました。イラスト班23生の定着を助けたんじゃないかと思っています。

結局停滞

と、新入生加入に合わせて色々とやってみたものの、依然定例会の改善方法は名案が浮かばず、23生の定着率も低く、そして22生の大量の幽霊も未だ放置でした。初心者も歓迎と打ち出している以上は幽霊会員も何かのきっかけで創作をしたときにデジコンが受け皿になりたいという意図がありましたが、具体的に幽霊会員に創作を楽しんでもらえるような施策は思い浮かばず、放置が続いていました。運営も会員もいろいろな思想や意見や創作分野を持っている事から、全体を満足させるような施策はほぼ不可能な状態に陥り、動こうにも動けない雰囲気が続きました。そして、夏にまた大きな運営の変革が訪れます。

結局やらかし続き

さて、ここまで1万文字も書いてほとんどがやらかしか停滞、失敗の話なのはどういうことかと皆さん思う事でしょう。勿論色々成功したこともあると思います。定例会の停滞とか言っていますが、毎回来て下さる方もいますし、23生が居付かないと述べましたが、活動してくれている方も沢山います。
それでも運営をすると、どうしても失敗や、悪いところばかり目につきます。それはもう運営というか私の性格なのかもしれません。これはあくまで私の主観で書いた運営記ですから、実態よりもやらかしが目立つ形になっているだけかもしれません。
というわけで次はコミケのやらかしです。デジコンの方には説明を避けてきたことですし、今回も詳細の説明はできません。大まかな話だけでもします。そして何度も強調しますが、私の主観です。

コミケに出られない

はい、コミケはデジコンの貴重な発表の場でしたが、出られなくなりました。
細かい話はしませんが、少なくとも誰か個人が悪いとかそういう話では無い事をお断りしておきます。ミスの本質としては、一人で進めて誰もチェックしようとしない消極的な運営の態度と縦割りによる無関心さがあります。
とはいえ発覚した時の雰囲気は最悪でした。デジコン運営は定期的に雰囲気を最悪にしたり最高にしたりしていますが、この時は最悪でした。とりあえず個人を責め立てるような流れが運営内でもありました。しかし、副会長のYS氏が、ミスの本質は共有不足であることを指摘、それによって運営体制をなんとかしなくてはならないと運営内でまた考えました。

ダブルリーダー制

とりあえず案として出たのは単純な意識改革、「できるだけ共有をこまめにしよう!」当たり前ですが、デジコン運営にそんな難しい事はできません。そこで意識改革に加えて試しに「世田谷祭ダブルリーダー制」を試してみることにしました。また会長に全負担を負わせるわけにはいかない、でもミスが起こりにくい体質を作らないといけない。そこで生まれた施策でした。世田谷祭はYS氏の担当でしたが、私がそこに加わる事で、二人でチェックをしようという事になりました。
これも「責任の所在が不明瞭になる」「2人とも見逃したら意味がない」とか、他にも色々と欠点を抱えていました。それでもその時できる対策として試してみることにしました。

従来の課題はどこへ

ここで一度呼吸を整えて振り返ってみると、最初に定めていた課題の話があまり出てこないことに気が付く方がいるかもしれません。S氏の負担増大や各企画のミス、運営制の欠点などの「課題解決以前に整えるべき部分」があまりにもお粗末だった為、従来の課題を見やる暇はこの時あまり残されていませんでした。とはいえこの後には横浜祭・M3・世田谷祭・冬コミなどの大行事が控えています。この後ガバナンスを整えながら、行事の在り方について考えながら運営は進んでいきます。

何か見えるような見えないような、学園祭

学祭は昨年と今年の運営の違い、デジコンの違いが一番わかりやすく出てくる場所です。エンタメ重視でルールを破って、でも目立つ企画で爪痕を残して、そんな昨年に対して今年はどうなったのか。ここから書いていきます。
学祭では「学祭企画サーバ」を新規に作り、運営だけでなく一般の会員が中心になって企画を進めます。ここでも色々とありましたので徒然書いていこうと思います。

横浜祭

まずは 9月の横浜祭です。昨年は6月?だったのですが、今年は秋に変更されました。これは私は担当したので語るなら止まらないぐらい話せるのですが、出来るだけかいつまんで話していきます。
まず、昨年の反省として、「創作サークルらしさが無い発表があった」「期限ぎりぎりで準備不足だった」この二点があります。これを改善する為に「創作物第一の展示」「余裕を持たせた期間」それに加えて「実態に合ったレベルの発表」というものを自分の中で概ね方針として据えました。
グッズの売り上げや目立つ発表にはこだわらず寧ろ敬遠して、創作物の展示発表に注力しようと考えました。そして7月から企画を開始することで2~3か月の余裕を持たせて準備期間で切羽詰まる事が無いようにしました。最後の「実態に合った発表」というのが私の中では最大の課題で、昨年の学祭では実際の活動実態に見合わないような壮大な発表を計画してしまった事で、少数の個人に大きな負担をかけたり、準備不足に陥りました。その反省から今年はやりすぎなぐらい規模を縮小し、ステージには一切出ず、教室展示も会員が提示してきた面白そうな企画もほとんど却下して小さな展示に努めました。これが正しかったのかは当事者の私には皆目見当がつきません。むしろやりたい事をのびのびやらせることが出来ず、私の思想に囚われた窮屈な展示にしてしまったかもしれません。もしそうだったなら会員の方には申し訳が立ちません。しかし、仮にどんなにお粗末であっても、ルールを守って、誰も無理をし過ぎず、ミスの無い分相応な学祭展示をすることが、今の運営の精一杯だったことはどうかご理解頂きたいです。結果はわからないというのが正直なところです。上記の通り窮屈な企画だったかもしれませんし、創作者に寄り添った企画だと思っていただけたかもしれません。分かりません。ただ、ミスの有無で言うなら普通にありました。グッズのデザインが横祭企画の不手際で一つ使われないまま終わってしまいました。これは世田谷祭でまた使うことが出来ましたが、ここでもリーダが一人だった事の弊害が出たといえるでしょう。そのほかにも課題としては一年生が中心で活動した昨年の学祭と異なり今年は昨年も活動した22生が多く、23生中心の学祭とはいきませんでした。学祭準備の楽しさや魅力を提示できていなかった事や新入生の定着に失敗していたことが原因でしょう。最後に私自身の課題を挙げるなら、最初に書いた方針を全体であまり共有しなかった事でしょう。最初は私自身の一人の課題としていた為共有の必要はないと考えていましたが、全体で企画を却下する時にこれを公表していれば会員の皆さんも納得してくれたのかなと反省しています。

世田谷祭

世田谷祭は本学最大のお祭りとして11月に開催されます。まだ記憶に新しい方も多いのではないでしょうか。これは先ほど言った通りYS氏と私のダブルリーダー制を取りました。しかし、横浜祭が9月にあった影響でそちらにリソースを割かざるを得ない状況が続き、実際の始動は9月末までずれ込むことになります。いざ始まってみると企画の量が横浜祭終了直後の会員の勢いに押されてかなりの量になってしまいました。横浜祭で掲げた課題や横浜祭終了後の反省点を活かす暇なく本格的な準備に着手することになります。
これも、書こうと思えばいくらでも書けてしまうので印象に残ったところをかいつまんでお話します。
実際準備中に私から中止を要求する企画が出たり、話が上がったものの忘れられて立ち消えになった企画が多く、計画のずさんさは大いに反省するべき点だと反省しています。また、やると決まった企画は不完全になるか、個人に大きな負担を強いる事で何とか完成させました。外ヅラとしては横浜祭よりレベルアップしていたのに、準備期間は横浜祭の半分以下だったのですから、会員の苦労は大きなものになってしまいました。この辺りは私が運営としてしっかり監督するべきところでした。不甲斐ない限りです。
しかし、昨年のようにほかの団体に大きな迷惑をかけずに完遂できたことは団体の信頼回復の為にまず一歩、大切な歩みだったと感じます。また、創作者にフォーカスしながらの発表としてDTMの講座の実施があったり、会員が自ら考えてくれた企画が団体に少しながら活気をもたらしてくれたのかなと感じます。ただ、昨年と比べて規模を縮小した事実や、展示が大人しくなっていた事実は存在しており、昨年を知る会員や外部の人間からはその点に関する意見も多く、改めて団体の在り方が自分の中で揺らぎました。

デジコネクト←かっこいい

ここまで全く触れていないデジコネクトというイベントこれは放送会とのコラボであり、放送会の方が尽力してくださったものである為、私は特に何かいう事はできません。ただ、何となくの停滞感を常に感じていた運営にとって、派手なビジュアルと音響で創作物を発表するデジコネクトの存在はとても大きいもので、デジコンの勢い付けの意味でも、創作部発表の形としても素晴らしい企画だったと感じています。私がとやかくいえる代物ではないのでこの辺で。叶うのなら長く続くイベントになる事を祈っています。

ダブルリーダ制の可否

世田谷祭で試験的に導入したダブルリーダ制は実際にどちらかが出られない説明会や話し合いをカバーしあえたり、互いで監視することによる安全性、何かあった時に相談できる安心感から私はとてもありがたいものだと感じました。しかし、ペアの片方のやる気が無ければ意味を成しませんし、どちらもいい加減な人だったら安全性も維持されません。今回は私とYS氏の組み合わせが偶然成功したに過ぎないのかもしれません

私自身の変化

こんな場で書く事でも、というかどこであっても公表するべき事ではないかもしれませんが私自身の考え方に変化がありました。私はデジコン以外にも写真部や天文といった他の課外活動団体でも活動しています。
そんな中でもデジコンで副会長を務めていた訳というのはデジコンが好きだったからです。初めて作った動画をほめて頂いたり、友人も出来たり、大きな恩を感じており、私自身が力になりたいと感じたからです。
ただ、運営に加入してからは多くの失敗や停滞の責任を感じ、他の運営者と時には争いながら団体の行く末を必死で作ってきました。その忙しさから動画を作ったり、いわゆる「創作活動」をすることが全く無くなりました。創作と運営職を両立している方も居ましたが、私には難しい事でした。
そうなると、私自身のやりたい事は写真撮影や天体観測等、デジコンと関係ない活動に向くことになりました。世田谷祭が終わるころには、私自身が創作もせず、他団体にも人間関係が構築されている今の私にとってデジコンにいる意味がなくなりつつあると感じています。
そんな私がデジコンに一体何をすることが出来るのだろうかという疑問は今も消える事はありません。

気が付けば引継ぎ

いろいろな失敗と停滞とたまの成功に揉まれ、会員の人数分ある団体への思想に迷い続けて気が付けば何を成したのか何を成していないのか。
会長が今をどう思っているのか私は知り得ませんが、少なくとも一年前に熱く団体の行く末を語った青い私はすでにいなくなってしまっています。課題ばかり刻銘になり、デジコンの行く末に惑い続けている今の私が青じゃなくて何色なのかは分かりませんが、ともかく引継ぎの時期です。

あ、M3は成功

書き忘れていましたが、世田谷祭の少し前に開催されたM3は相変わらずDTM班長のajiきゅんが成功させてくれました。春のミスを活かして今回はしっかり作り上げてくれました。デジコンもミスとやらかしばかりじゃなくしっかり成長している事を実感できる個人的には有難いタイミングでした。

一年間は結局何だったのか

この一年間でデジコンはどう変わったのか、常にデジコンの中にいた私には分かりかねますが、少しは創作サークルらしさを取り戻しつつあるのではないかと思います。
ガバナンスは…整ったとはまだ言えないでしょう。ここまで長文になるほどデジコンの幹部制、運営制は手探りでした。ここから改善を重ねて、後輩にも引き継いでいけるような"きれい""らくちん""楽しく""ほかの人に迷惑かけない"そんな運営を作っていく必要がありそうです。
でじこんちゃんの復活は先ほどの持論の通り、私は慎重に進めなくてはいけないと考えています。合議制の運営でそれを決めるのは私ではありませんが。
沢山の幽霊部員は未だ放置、会員が“デジコンで創作する”ことのメリットや居場所作りも道半ばどころかまだ1合目といったところでしょう。
会長のS氏が先日ぽろっと、「この一年の記憶が曖昧」と言っていたのがなんとなく私もわかる気がします。結局、何をしていたのか。デジコンを弄んでいて重要な事は何一つ完遂出来なかったような気がします。デジコンの運営者はみんな総じて陰キャで不器用です。たぶん要領の良い方々ならもう少しなんとかできたのでしょう。それでもこの一年団体を潰さず、何とか形を保って居られたことは、我々の功績としてもいいんじゃなかなと思わなくもありません。反省点だらけですが、ひとまず、後は次の運営に任せて私たちは下りようと思います。

次の運営…?

かなり上の方に23生の定着率が低くなってしまったと書きました。つまり、運営を任せられてかつ運営をやる気のある23生も少ないという事です。なんとか新規で運営に入ったのは23生2人と22生1人、3人です。最初の幹部構想にあるように、運営に必要な人数は8人、足りません。数名は続投です。更に、ここ一年やってきたことは運営のガバナンス強化といろんな施策、引き継ぎの資料を作るタイミングも無ければ、引き継ぎのノウハウもありません。ここから先もしばらく働くことになりそうです。

会長になった

会長になりました。軽井沢かどこかで隠居しようとしていた矢先、結局運営の人数が不足しているため、私も役に着くことになり、何だかんだで会長になりました。この一年、自分たちでいい事も悪い事も色々してきましたが、そのツケも自分で払う必要があるみたいです。結局YS氏も相談役的立ち位置に落ち着きS氏はプログラミング班班長、会計T氏はなんと続投。そのほかの旧運営陣も人手不足のため引き続きデジコンで運営を行うことになります。
笑い話で終わらせられればいいんですが、こうなると深刻なのは団体の新陳代謝です。今後入ってくるであろう24生に期待を込めつつ、今いる会員の誰かが来年には入れ替わってくれるように活動を積極的に行う必要があります。先述した通り、課題の多くがそのまま残っています。コロナ禍による大学の規制もじわじわと緩和され、様々な課外活動団体が活動を本格化させる中、デジコンもその魅力を高めて、生き残っていく必要があります。
色々真剣に考えてしまうあたり、いる意味がなくなっても結局私はデジコンがそこそこ好きみたいです。

今後どうしようか

色々課題はありますが、とりあえず最低限の目標として運営内で意見をぶつける事はあっても喧嘩にならないよう、険悪な空気にならないようにしたいです。それと、来年以降はもう少し運営が楽できるようにマニュアルの策定や仕事を増やしすぎない工夫をしていきたいです。なんにせよ、この一年間の運営では多くの反省が生まれました。それを活かして、出来る限りのことをしていきたいです。団体運営は基本的に一年単位ですが、例えば企業であれば数年、10数年規模の長いプロジェクトもざらでしょうし、私個人はこの一年をスタートラインを切っただけにすぎないと考えています。私の世代ではなく、その後やそのまた後、10年後でも良いです。できる事なら会員のみんながデジコンを楽しいと思ってくれるような活動の形態を運営が見つけられることを私は目指していたいです。まだ青いでしょうか。

まあ、こんなんガクチカの養分なんで、ってぐらいの軽い気持ちで、考えすぎないように、また会長として緩くやっていきたいです。ほかにも会員のしたい事をちゃんと聞きたいとか、定例会をなんとかしたいとか色々ありますが、これこそきりが無いのでこの辺で。

一年間の運営生活

コロナ禍以後の運営を経験できたのは我々世代の特権ですね。手探りなまま終わり今後も手探りのまま続いていきそうなデジコンの運営ですがそれでも私はとてもありがたいと感じています。私は高校時代にコロナ禍で部活動の代表をしていました。その時は高校側や県の規制で何もできないままあっけなく終わってしまった苦い経験があります。デジコンの運営も苦くないとは言えませんが、それでも色々動ける運営の経験は私の中でいくらか糧になったでしょう。なったでしょうか?正直わかりません。

何を学んだのかって言われるとわからん

一年間の運営で何を学んだのかと聞かれると返答に迷います。
元気でいた方が良いとか、精神は病まない方が良いとか….

まああれですね。たぶんミスはなくならないし、やらかしも続くので、それに対して反省はすれど腐らず、ずっと挑戦する気を持ち続ける事が最低限団体運営に必要かな…?ずっと迷い続けた運営生活でしたが、それでも諦めたり投げ出さなかった事が唯一の学びですかね?

みんななにかを学んだんだろうか

ほかの運営メンバーは何か学びを得ることが出来たのでしょうか?できている事を祈ります。とはいえ大半は続投なので、ちゃんとした総括やら振り返りやらはまた来年のアドカレにでも書けるといいですね。めっちゃ良くなった!とか言えるように精々今のうちに祈っておきます。

あとがき?

さて、大まかに今までの一年間の歩みを書いていきましたが、私自身の性格や役割上どうしてもネガティブな側面を中心とした話になってしまいました。ポジティブな話題もネガティブな話題も出そうと思えばもっと沢山事細かに書けますが、際限なくなってしまうと思うので、今回はこの辺でご勘弁下さい。
そして何度も言いますが私の主観ですし、裏も取っていません。あくまで一つのフィクション作品のようなものとして受け取って下さい。
特に何か明確な教訓があるわけでもないこの記事ですが、団体運営者でもそうでない方でも誰かの足しになれば幸いです。

これを書いている今も新たなミニやらかしが発覚してその対応を一通り終えた後です。デジコンは出展するイベントの量からミスの絶対数がどうしても増えてしまいます。それを減らすための努力は今後とも続けていきます。
しかしながら、最後に一つだけ、もし仮にこの拙文を最後まで読んだ運営の方がいらっしゃれば。
ミスを減らすために冒険が出来なくなるような、事なかれ主義の運営になってしまっては終わりだと思っています。ミスや失敗の責任を取るのは会長の私です。責任は私が取るのでやりたいことや思いついたことをいつでもいくらでも提案して実行してください。デジコンはまだまだ良い団体になれると思います。一年間運営に揉まれた私ではもう新しい企画や施策は思いつきません。責任を取る以外に出来ることがないです。責任を取ること以外は全部私以外の運営の皆さんが頑張って下さい。私のガクチカとデジコンの未来の為によろしくお願いします。

明日は門馬さんの「“あんつ”とは何なのか?考えられる仮説を考察」です。内容は明日自分たちで確認してください。あんつとは何なのか、答えがあるのでしょうか….


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