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おたよりコーナー #19で読まれました

おたよりコーナーを聞きながら。どうも、神山です。
今回はさやわかのカルチャーお白洲超大人気コーナーである、おたよりコーナーの第19回にて読まれたおたよりを公開します。中間をすっ飛ばしがちだったり、リスニングに向かないおたよりだったな・・・と思いながら、次回おたよりを頑張ろうと思いました。ヘッダーは本来、おたよりコーナーを聞きながらつくっていた炊き込みご飯の予定でしたが、何故か失敗したので急遽の画像です。では!


こんばんは、神山です。オミクロン株の影響か、また毎日数字で一喜一憂する人々を見る日々がやってきました。ということで今回は、海堂尊の小説シリーズ・桜宮サーガと、その世界観のなかでコロナ禍を扱った「コロナ黙示録」「コロナ狂騒録」を用い、フィクションとリアルの関係性について考えたものをお送りします。

医療モノのコンテンツといえば何を思い浮かべるだろうか。『白い巨塔』『Dr.コトー診療所』『ブラック・ジャック』、それとも『SIMPLE2000シリーズ THE 外科医』だろうか。小説、マンガ、ドラマ、様々なメディアで医療モノは作られている。近年の人気作品といえば『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』、これは2012年の放送開始から今年で10年目であり、ゴールデンタイムのドラマに限っても年がら年中、病院を舞台にしたラブコメや、医療者を絡めたミステリーなどが放送されている。

今回取り上げるのは海堂尊による『チーム・バチスタの栄光』から始まった桜宮サーガである。『チーム・バチスタの栄光』は第4回このミステリーがすごい!大賞を受賞し2006年に刊行され、その後2008年2月に映画化、更に同年10月TVドラマ化された。桜宮サーガの特色のひとつは、登場するキャラクターそれぞれに『火喰い鳥』『血塗れ将軍:ジェネラル・ルージュ』『大ホラ吹き:スカラムーシュ』といった二つ名が設定されていることである。これは清涼院流水のJDCシリーズにおいて探偵たちが必殺技のような名前の探偵法を持っていることに似ている。権力闘争で泥沼化する、あるいは専門用語の羅列によってハードルが上がってしまう、ミステリのジャンル分けでいえば本格よりも社会派となりがちな病院・医療の物語を、カッコいい二つ名と能力によってキャラクター小説化したことが、桜宮サーガにおける発明だった。

桜宮サーガの多くの作品はミステリーの体をとっており、デビュー作である『チーム・バチスタの栄光』や『アリアドネの弾丸』はミステリ色が強く、殺人方法には本格ミステリ的なトリックが用いられているが、基本路線はミステリーのストーリーラインを用いながら、現代医療の問題点に焦点を当てるという社会派的な作品である。海堂は、国内で発生した医療絡みの事件などについて、医療者としての視点・主張を色濃く反映しながら物語を展開させる。多くの作品はAi(オートプシー・イメージング=死亡時画像診断)を取り巻く院内政治や行政、司法との問題を取り上げていることが多いが、そこにとどまらず、『ジーン・ワルツ』では産婦人科学や代理母出産を、『極北クレイマー』では地域医療なども扱う。行政や司法を扱うこともあり、『イノセント・ゲリラの祝祭』(2008年)は病院ではなく厚生労働省を主な舞台とし、解剖至上主義の医師や様々な思惑をもつ官僚との論戦を中心としている。

感染症については2009年に発生したインフルエンザ騒動をモデルとした医師サイドの物語と、橋下徹・大阪都構想・大阪維新の会をモデルとした地方都市と霞が関の争いを描いた行政サイドの物語を並行させた作品として『ナニワ・モンスター』を発表した。そして『コロナ黙示録』(2020年)『コロナ狂騒録』(2021年)によって桜宮サーガのなかで新型コロナウイルス感染症の蔓延について扱った。

桜宮サーガで扱ってきた医療は、日本全土、地球全体を侵食するウイルス禍などではなく、時に中央政権による横槍が入るにせよ、死因不明への対処や、終末医療、代理母出産など、スケールに大小はあれども、個別的な例である。新技術や新たな病による問題、災害に対する行政の保守性に対する批判といった話題であってもあくまで医療の世界の内側を扱っており、医師や看護師、患者など、専門性が高い世界での物語だった。だからこそ、破天荒な医療技官、超絶技巧の名医師、剛腕な政治家などが存在できる世界観を構成していた。

そういった医療と政治の問題を扱ってきた海堂が、コロナ禍という現実と、作中で10年前から描かれている感染症対策の問題・医療行政の問題という形式的な虚構とが混ざり合い、政治的主張を色濃く反映させた作品が『黙示録/狂騒録』である。『黙示録』ではコロナ禍が始まった2020年1月頃から半年のことがまとめられつつ、桜宮サーガを襲ったコロナ禍に対応していく。多くのキャラクターが登場し、シリーズのファンであれば感動的なシーンも多い。一方、新しく登場するキャラクターは安保(あぼ)首相・明菜夫人、酸ヶ湯(すかゆ)官房長官、小日向都知事、黒原検事長など、明らかな参照元があり、カッコよくもない。愚かしさを強調された形で登場させられており、政権批判的なメッセージを伝えるのに作家としての手腕を発揮している。虚構的なキャラクターの縦横無尽の活躍で医療事故(事件)が解決されたり、医療行政の問題が明らかになることに比べて、現実の政権や司法へ批判的な言及を投げかけるというスタイルは、現実社会への距離感が元々の桜宮サーガと合致していない。

いま病院内で直面している医療だけに留まらない、社会生活一般にまで広がっているコロナ禍に対する様々な専門家、医療者や医療設備の活躍を描くフィクションの役割と、現政権の非感染症関係のスキャンダラスな一面を非難する視座から練られた反政権的なフィクションの役割は異なる。フィクショナルな手つきで政治や生活を加味せず言説を投げる専門家よりは、フィクションの形で提示しているだけ良いのかもしれない。

海堂は多くの作品で三部作を形成することから、おそらく2022年中にもコロナ三部作として一応の幕引き作品を書くこととは思うが、それを前にして『月刊 保険診療 2021年1月号』の特集「730日の“失敗”のメカニズム~我々はなぜこうも失敗し続けるのか~」にて、『日本政府はなぜ,パンデミック防止に失敗したのか。――政府とメディアの罪』という論述文を掲載している(全文は2022年2月7日現在、pdfが公開されており読むことができる)。概要としては、『ナニワ・モンスター』にて扱った2009年の豚インフルエンザ対策の過ちを指摘しつつ、『コロナ黙示録』『コロナ狂騒録』で扱った新型コロナウイルス対策と政権への批判、そして一部のワクチン推進医療者批判を主としている。

コロナ禍における「予測」や「要請」が本当に現実の社会を見ていたのか、単なる数字や計算によって出来上がった物語を見ていたのか判定することは検証をするとしても専門性が高く困難であり、評価が見えるのはもう少し未来のことになるだろう。その中で、海堂がデビュー作より一貫して現実とフィクションの間を往復しながら作られてきた桜宮サーガは、現在進行形の現象に対してアプローチを試みた。その試みは残念ながらひとつのシリーズのなかの物語としては失敗に近いものの、科学的根拠だけではなく、政局などを踏まえた言説を存在させたこと自体は重要である。専門知の外側、現実の社会を語るために必要なものは実証的・学術的なことばだけでは足りない。一歩間違えればフェイクとも言われる可能性があるフィクションだからこそできる切り口がまだ存在している。今後ふたたびウイルス禍が起こった際、毎日提示される数字に一喜一憂せず行き過ぎた対策に抗する免疫のひとつとして、フィクションを摂取しておく重要性を『コロナ黙示録/狂騒録』は示唆している。

お読みいただき、ありがとうございました。

『日本政府はなぜ,パンデミック防止に失敗したのか。――政府とメディアの罪』:http://ai-ai.xrea.jp/covid19/doc/hoken_shinryo_2201.pdf


おたよりコーナー内でも指摘されましたが、確かにウイルス禍における言説への免疫としてフィクションが機能するかもしれないものの、「コロナ黙示録/狂騒録」自体は上記のとおり政権批判が安直であり、ダイレクトに伝えすぎて/いる部分が多く、よいお手本というわけではないですね。「黙示録/狂騒録」から「ファクト一辺倒ではなく物語=フィクション一般」に話題のスケールを切り替えるような段落がなく、そのまま直結してしまったと反省しています。リライト時にどうにかせねば。

ではでは。

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