感情に触れ、煉獄での正当化ループをやめる


合宿の映画セッションでみた「インセプション」のこの場面。

この場面のコブのことを、思い出す。

このときの、
罪悪感に触れてそれを告白するコブのようすが心にふれる。

これを私はやる必要がある。


そこにある罪悪感に直面せずに、
それを見ないようにするためにこしらえた煉獄で
同じループをえんえんと演じ続けるのをやめること。

そこにある罪悪感に直面すること。

それに触れて、それについて話し、

その原因(自分がやっちまったと思ってること)について、

「これは本当にやっちまったことなんでしょうか?」

と聖霊にたずね、

聖霊からのこたえを受け入れること。


4月合宿では「本当にそうしていけるんだ」というところに触れさせ始めてもらえたように感じる。

通訳をしながら感じてるプレッシャー。

それが罪悪感のあらわれだったと教えてもらい、触れさせてもらえた。

通訳に限らず、あらゆるファンクションをやる根底に、
同じような罪悪感があった。

通訳やファンクションをやらせてもらえたおかげで、
今までずっとあったのにまったく触れられてなかった罪悪感に、
触れさせ始めてもらえたように感じる。


この感情に触れられて初めて、

自分が何を願望し、どんな信念をもち、どんな思考をもって
この世界を映し出してきているのか、

ということにも触れられる。

そうして初めて、

それについての聖霊からのこたえは何なのか、
尋ね始めることができる。

聖霊からのこたえを受け入れられる可能性が生まれる。




「感情は心のコアの願望からのダイレクトショット(直撃弾)」という話があった。

忘れ去ってしまっていた自分のコアの願望に立ち戻り、

もう一度選び直し、

助けを求めるためには、

まずは感情をあらわにして触れる必要がある。

なおこもそれを見せてくれた。



自分自身の願望、信念、思考の反映である、

そこからのダイレクトショットである感情について、

もう見ないふりや、煉獄での正当化ループで紛らわすことはやめる。


煉獄での正当化ループ。

俺がちゃんと通訳やファンクションをできれば・・・
俺が若くきれいな女をゲットできれば・・・
俺がお金を充分稼げれば・・・
俺のこの身体が健康で、ハゲなければ・・・
俺の代理戦争であるプロ野球でカープが勝てば・・・
俺が社会的に評価される者であれば・・・
俺が人から評価されれば・・・
俺が生きているこの世界が平和で、大往生まで平穏に生きることができれば・・・

そういうところにマインドエナジーを使ってきた。

すべて煉獄の中。

コブとモルが、浜辺で作っては壊しを繰り返していた砂のお城。


真の原因である「願望」からのダイレクトショットである「感情」に触れるところから始めて、

一歩一歩、
コアの思考、信念、願望に立ち戻り、

真の原因の場所で助けを求めたい🙏🙏🙏



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