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介護保険に関わった20年を振り返る③介護保険制度は共助。共助できる範囲って?

1998年4月介護保険の準備室or準備担当者なるものが市町村に設置された。その時に担当になったのが新人のSくんと30歳になったばかりの私。他の町はみな係長クラスの皆様でほぼ40代。ぺーぺーのペアなんてどこにもいなかった笑(いま思うと、この人事をできた上司は本当にすごいと思う笑)

私自身はある意味ワクワクしながら未来を描いていたし、彼は歳の割にめっちゃ冷静だった。先に入職していた彼の同級生たちと一緒に働いたこともあったがこの年代はみな妙に落ち着いていて、勢いが売りの私はよく助けられていた。

とはいえ、世の中の誰も経験したことのない制度をつくるわけで、試行錯誤の連続…

近隣の市町村集まって学習会をした。

1998年7月とりあえず視察してイメージを固めよう!と当時全国に先駆けて広域連合を組んだ北海道の空知の広域連合へ肝属9町の担当者で出向いた。

結構国とやり取りされていたリーダーの町長さんがまとめ役になっておられたこともあり、政治主導的な感じは強かったが学びも多かった

サービス利用がどれくらい必要かの区分を決める(要介護認定)事務からサービスの支払い(給付)事務、そして保険料の決定と徴収・収納をする(賦課徴収)事務を一体化して行い、人もお金もシェアするシステムとしては小さな町での懸案事項を解決する方法としてはありだとみんな納得できた。

ただ、そう簡単に、「じゃあやりましょう」とはならなかったのである

介護保険のシステムは共助がベース。簡単に説明すると使うであろう介護サービスの総支出の半分を国・県・市町村で負担し、約30%を40歳〜64歳の人の保険料でまかない、約20%を65歳以上の人の保険料でまかなう。

40歳〜64歳の方たちは健康保険に上乗せされて徴収され、社会保険支払基金というところに集められて、各市町村に分配される。広域的な対応にそもそもなっている。

一方で65歳以上の人の保険料はざっくりいうと、使うであろうサービスの支払い分の約20%をその市町村の65歳以上の人を所得状況で補正した人数で頭割りして決められる。人口が多い方が負担は楽になるシステムということだ。であれば、広域の方が保険料が安定する。だから高齢化と炭鉱閉鎖後の人口減少を抱えていた空知では広域連合を選択されたのだ。ただそれは、人口の一番多い町の首長がリーダーでありリスクまでを受け入れる関係性があったからだった。

また、サービスの提供についても法人であることが要件でなくなった。様々な方々がサービス提供に参入したようと名乗りをあげ始めていた。けれどそれは、市街地が中心だった。

ゆえに、私たちの地域では人口が多く高齢化が緩やかな地域は高齢化の進む地域を抱えることを躊躇し、高齢化の進む地域は保険料を納めてもサービス提供が受けられないのではという不安があり、どちらも財政までを広域化することを踏み止まる形となった。

支え合いとは…リスクを分かち合うだけの信頼感が醸成される範囲でしか生まれないと実感した。

気がつけば1999年が来ており残された時間は約1年

1998年度末。結局要介護認定事務のみ広域事務組合で行うことになった。





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