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1人の人間として感じていること。

まず言っておきますが、この記事の中で私は自分は考えているけど他の人はそうじゃない、とか、私は勉強しているから教えてあげよう、とか、そういうことを言う意図は決してありません。私自身のことも、「日本人」の中に括っています。 

ここ1週間ほど、ずっと世界を騒がせている一大ムーヴメントに思いを馳せている。そう、一連のBlack Lives Matterの話。まず大前提として言っておきたいのは、私はアンチレイシストだということ。いかなる人種差別にも反対しているし、人種のみならず、宗教差別にも性差別にも、もちろんセクシャルマイノリティに対する差別にも、反対の立場を取っている。どんな理由があろうと、それがどれだけ正しそうな顔をしていようと、人間同士の間に優劣をつけて排除しようという考えには、私は断固反対する。Black Lives Matterのシュプレヒコールに賛同し、声を上げるからといって、他の命が大切じゃないなんて言うつもりはない。

それでも、その上で、今から私は世界中、特にアメリカ合衆国に蔓延する黒人差別について触れたい。もちろん今までだってその問題があることも知っていたし、早く彼らが本当の意味での自由を享受できる世の中になってほしいと思っていた。でも特に私自身に関して言えば、「それってその場だけの感情じゃなかった?」と思ったのだ。例えば、そういう映画を見たとか、本を読んだとか、そういうタイミングの感情。数十年前、下手すれば100年近く前のお話に感情移入していただけだったりしない?と。なんなら、もうある程度平等になってるのでは、とさえ思っていた。恥ずかしいことに。
だから今回は、今回こそは、今までのように世界のムーヴメントに乗っかって、ニュースを見て心を痛めて、真っ黒の正方形と#blackouttuesdayを組み合わせた、Instagramのファッションポストを作って、結局心は痛める癖に大したことは何もしない、みたいなことはしたくなかったのだ。「何か行動を起こそう、そしてそれにちゃんと自分の頭で考えた理由づけをしよう。信念を持とう。」と思って、ここ1週間ずっと考えていた。ニュースや実際のコミュニティの人たちの発信を仕入れながら。

要は、黒人差別と聞いて、「なんてひどい」と思うけれど、私はどの立場から見て言っているのか?と不安になったのだ。

 

一口に差別と言ったって、自覚を持ってやってる人なんていうのは少ない。大多数は、あまりにもそれが生活に馴染みすぎて気付いていない人たち。差別を受けている方には明確にわかる社会のシステムの違いや、人の態度の違いは、優位に立っている人間には全く見えない。自分が恵まれている側の人間であることにも気づかない。
日本人は比較的、その「人種差別」に対する感覚が薄いように思う。差別と聞いた時に浮かぶのはおそらく、BlackとWhiteの間のそれである人の方が多いはずだ。というか私がそうだった。自国のことはさておいて、いつも外のことに対してやいやい言ったり考えたりしていた。でもどうだろう?部落差別は?中国人や韓国人に対する差別は?移民は?同調圧力の強い島国の中で「日本人」として扱われないことが、「違う国の人」として見られることがどれだけ恐ろしいことか、想像したことがあっただろうか。私はなかった。実際にはお互い何も変わらないのに、自分が優れていると言って、相手から土地も言葉も人も信仰も文化も取り上げて、自分の価値観や言語を押し付ける。その押し付けが日常となって知らぬ間に世代を超え受け継がれ、システマティックな差別や、無意識の差別につながっている。
日本に生きる日本人は、ハーフだったり移民だったりしない日本人は、日本で生きていく上で特権を持っている。女であることやキャリアが弱いことによる差別を受ける私も、日本人であるというだけで命を脅かされずに生きていける。だから想像できないのだ、人の下に置かれ命を脅かされる必要がない立場だから。それは今「白人特権」として言われていることと同じで、私たち日本人がどれだけ「黄色人種も差別の対象になるから」とブラック側の視点に立って抗議しても、何の説得力もないし、なんなら抗議活動をするブラックの人たちに対して失礼になるかもしれない。
では、私たちはどの立場から黒人差別に反対すべきなのか。少なくとも、ことに黒人差別の問題に関しては、私たちは被害者としてではなく、一般的な第三者の視点に、さらに身近に捉えるならば加害者の視点に立つべきだと言える。

アメリカのアフリカン-アメリカンの人々はもう何世紀も立場と命を脅かされ続けている。一度として平等になったことがない。これまでに何度も本当の意味での平等を訴え続けてきて、地位としてはいくらか改善されてきているとしても、全く解決には進んでいない。光が見えていない。選挙権や職業選択の自由が制度上認められても、現に格差は存在し、日々広がり続けている。黒人であるというだけで選択肢が狭まるのだ。白人が何も考えずに享受できるものが、彼らには与えられない。
日本で男性優位の社会が全く改善されないのと同じ原理が働いていると言えばもっと想像しやすくなるだろうか。生まれながらにして優位性を持っている人間は、決してそれに気づかない。男尊女卑に反対しても、女尊男卑を求めているわけではないのに、男性蔑視だと声が上がって黙らせられる。法律上は平等だなんて綺麗事だけを並べ立てられる。それと同じことなのだ。黒人優位を求めているのではなく、白人と同じだけの権利と安全の保障を、法律上は認められていても実際には全く叶っていないそれを求めているだけなのに、White lives matterと言い返される。
彼らはただ、黒人であるというそれだけで、ステレオタイプのレッテルを貼られる。今回の運動のきっかけになったGeorge Floyd氏の事件にしても、3月のBreonna Taylorさんの事件にしても、「きっとそうに違いない(、だって黒人だから)。」という思考が働いたことは間違いない。正義感の強い警察ならなおのこと。普段人種差別主義者でなくても、生きていく中で植え付けられる偏見は、ふとした瞬間に表出する。

 

これから私たちがしていかなければいけないのは、そういう無意識の差別をなくすことであり、そのためにまず、それは被害者の立場から声を上げて改善されることではないことに気づかなくてはならない。白人ならまずその特権と優位性に気づかなくてはいけないし、ブラックでもホワイトでもない人間は、見て見ぬふりをせず、その中立性でもって学び続け、注視していなくてはならない。現に社会を変える力がある白人層が自身の特権に気付かなければ、結局何も変えられないから。もし白人層が少しも歩み寄らないなら、第三者が弱者をサポートしなくてはいけないから。
アメリカの黒人差別の問題が取り沙汰され、大きなうねりに発展しやすいのは、何世紀もの歴史があることでみんながある程度知っているからで、かつ、コミュニティが大きく、問題視する人も多いことで発信と拡散がしやすいからだと思う。だからこそこれが改善されれば、前に進めば、世界は大きく変わるだろう。でももっと大事なのは、そこでみんなが終わってしまわないこと。ネイティヴ・アメリカンも同様に差別を受け続けているし、アジア人差別も横行している。アメリカだけでなく、世界中でそんな差別は、意図的なものも無意識的なものも含め、嫌というほどある。アボリジナル・ピープルやマオリの人たちに対する差別も、新疆ウイグル自治区の問題、日本国内での朝鮮人差別もすべて、同じ「人種差別」だ。何かを改善しなければ他の問題も進まない。だとすれば、このうねりのある今はいいチャンスなのだ。ブラックに世界が注目する間、他は蔑ろにされているように見えるけれど、そうじゃない。どこかに集中しなければ、人の目は分散してしまう。2月の京都市長選がそうだったでしょう?候補者が現職ともう1人だったら現職を落とせたのに、現職対2人になってしまったから、ほんの僅かな差で現職がまた勝った。2人の票を足せば、現職の得票数を大きく上回れたのに。そして今京都市はクソみたいな状況に置かれている。

 

私は声をあげる。
Black Lives Matterについても、アンチレイシズムの表明として声を上げる。
それはBlackとWhiteの問題だからではなく、人間として人種差別主義に反感を覚えるからだ。人間はその肌の色や宗教や性的指向や性別をはじめとしたいかなる要素によっても、優劣をつけられてはならないと信じているからだ。
そのシュプレヒコールが形を変えても、私は賛同できる限りついていく。BlackがRedになってもBrownになっても、もちろんYellowになっても、Pridesになっても、もしかしてWhitesになったりしても、上述の私の信念に対抗するもので無い限り、私はそれを唱えよう。

黒人差別やネイティヴ・アメリカン、アボリジナル・ピープル、マオリなどの先住民族に対する 白人による 差別については第三者として意を唱えるし、その 差別そのもの に対しては、かつてアイヌの人々や琉球王朝、韓国をはじめとした東アジアの国々にたいして侵略と略奪行為を行ってきた「日本人」として、加害者であるという意識で声を上げる。問題がアジア人差別に移行すれば、1人のアジア人として、日本人としてアジア人差別に抗議をし、自分たちの置かれた状況を冷静に発信しよう。

まだまだ知らないことばかりだ。このいっときのブームに身を任せて考えた気になることなく、このブームが一旦は去ったとしても、情報を追うのをやめないようにしなくちゃ。歴史を学びながら、今を知る努力をしながら、いつも身近な問題として捉えていたい。

文章作成と思考整理のリハビリ中です。他愛もない日記のようなものですが、読んでいただけたら幸いです。