私の黒ラベル

サッポロビールの黒ラベルのCMを誰もが一度は見たことがあるのではないだろうか。妻夫木聡さんがエレベーターに乗ってゲストが待つ階に訪れる。そこで妻夫木さんとゲストとの1対1の対話が行われる。この過程が30秒という短い尺にギュッとまとめられている。30秒という短い時間なので、会話は2,3回しか映されないが、少ないからこそ、この余白が私たち視聴者を考えさせているとも感じ取れる。

このCMは、CMなのにそこまで商品を売りに出していない。キャッチコピーも「丸くなるな、星になれ。」、と味についての表現が一切ないことがわかる。
CM内で行われる対話もゆったりしていて、内容もビールとは関係ないことを話している。営業下手なの?って感じるくらいビールそのものの価値について触れていない。そんなCM。

他者と勝敗を決めるための「討論」、何かを明らかにしたいために行われる「議論」、何でも話すことができるけど、そこは無法地帯である「会話」など言葉が介在して行われる場はたくさんある。しかし、上記に挙げたすべての場は、何か明確な目的がないと成立しない。しかし、目的がないと話はしてはいけないのか。


私たちは何をするについても「目的」を明確にしなければならない。効率を上げるため、生産性があるものにするため、成長するため…
でも毎日の生活をノルマ達成のために生きなくてもいいのではないか。
コーヒーを飲みながら人の話をじっくり聞く、淡々と言葉を発する「対話」のような場があってもいいのではないだろうか。
限られた情報で他者をラベリングして、すぐに白黒つけてしまう。そんな仕分け作業のようなものは、必要ない。
次はどんな階で止まるんだろうか。扉が開くことを楽しみにしている私。そこには唯一無二のエレベーターが存在している。

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