そういえば

最近は、何かと答え合わせをする事が多い。

大人になるって、

高い洋服を買えるようになったとか
ワインを美味しいと思えるようになったとか
そういうことじゃなくて、

答え合わせをいかにできるようになったか、なような気がする

そういえば、私は子供の頃から、話す事が人よりもちょっとだけ苦手だった
人は不安なものに名前をつけた方が楽になるというのは本当のことっぽくて、この"苦手な事"に名前をつけるなら吃音症なんだけど。

けど、今思うと、周りの子よりも国語が良く評価される事が多くて、先生や両親にもよく褒められた

読書感想文は毎年賞をいただいていたし、俳句なんかの類の授業はとても好きで、当時校内コンクール的なもので良い評価をいただいた気がする

友達に書いていた年賀状は、それぞれの友達みんな別のデザインで可愛くデコるのが楽しくて、それを見たのか何故か友達の親にそこそこモテた。
プリクラの落書きなんかはよく友達に喜んでもらえてた。

多分人よりちょっと話すのが苦手な文、人よりちょっとだけ書くのが得意だった。


そういえば、母が子供の頃よく私に、神様は乗り越えられない試練は与えないと言っていた。 

世間的にも大人と見做される年齢になった今、久しぶりにその試練にぶち当たって夜中にめそめそしている

元はと言えば、自分が吃音持ちだった事を私が忘れてたんだよね。
それくらい、周りの環境や人に恵まれてんだよね。幸せな事です。


うまく話せない恐怖心とか不安?がなくなると、意識しなくなって、自然と治癒していく。
それはこの"苦手な事"と向き合って20年くらいにもなりますからね、分かってる。

脳にインプットされてる事を引き剥がすのに、20年もかかるんだよね人は。

だから、人生の選択肢は楽しいと思える方を選んできた。
それが自分の"苦手な事"に対する唯一の薬だと思っていたから。


そして今が、私が苦手を克服するまでの第二章

きっと昔の私からしたら、"苦手な事"はずっとずっと緩和している
周りの人たちのおかげ。

だから次は私自身が、「受け入れてあげる」ターン
うまく使いこなして、
うまく付き合っていく術を見出していく

上手に話せないなら、歌うように話せばいいんじゃん?

物事の解釈自体を柔らかく、楽しい方に進ませていけばいい
自分の事を自分がよく分かってなきゃ、好きにならなきゃ誰が?って話だからね。

って考えてると、自分のいいところって苦手な事に紐づいた事が多い
そうすると、苦手な事がある自分のことを好きになって、受け入れられる
苦手やコンプレックスに、人生のヒントは沢山隠されてる

試練があるから、私は私の事を知れる

最近できた、めっちゃ大きい答え合わせ。
はなまる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?