見出し画像

トツキトウカ

 

 雑踏のむこうに、目の覚めるような美人がひとり立っている。彼女は横を向いて、なにかを見つめている。遠くからでも不思議と惹きつけられるその表情にしばらく我を忘れていたところ、ふと気づけば目が合っていた。

 記憶よりも彼女はかなり痩せていて、だから目が合うまでわからなかったのだけれど、むかしつきあっていた女の子そのひとだった。ぼくのほうで記憶を呼び起こすのにしばらく時間がかかったように、ゆきかう人々の流れのむこうに浮かぶ彼女の瞳の色も、数秒の間をおいてから意思の込もる強い黒に変化した。

 

 ぼくが誰であるかわかると、ひとをかき分け彼女はこちらに駆け寄って来る。すこし息を切らしながら、クリスマスプレゼントだと言ってさし出された彼女の掌のうえには透明なカプセルが載っていて、なかには折り込まれた紙のようなものが見えている。今夜の舞台演劇のチケットで、一緒に観に行こうと言う。彼女の呼吸にあわせ、掌のカプセルが揺れている。

 ぼくらは街なかでいま偶然会ったばかりなのだから、ほんとうは別の誰かと観に行く予定だったのだろうということが咄嗟に想像されて、行きたいけれど行けない理由の説明も一瞬だけ脳裡をよぎる。けれど大事なのはそんなことではなくて、きょうこのタイミングで出逢えたことだし、彼女のほうから向き合う意思を見せてくれたということで、そのように瞬間ごと思考は整理をすすめるのだけれど、感情のほうが先行して自分からは何も言いだせそうにない。

 彼女と一緒にいたかったのに、かつてぼくは一緒にいてあげられなかったし、彼女の幸せに責任をとる覚悟が固まったその瞬間に、別れの時が来てしまった。背負ってしまったとてもつまらない罪をこれから償うためぼくは今夜の舞台を観に行けないし、たぶんもう会える機会は一生やって来ない。いまだそんな風にして、そんな簡単なこともしてあげられないていどの人間でありつづけていることが、どうしようもなく無様で情けない。十年たって、一ミリも前に進めていない。

 

 帝王切開で赤ちゃんを産んだと彼女は言う。その目には、薄っすらと涙がにじみ出している。仕事して、結婚して、子育てもして、わたしは頑張っているよと言う。ああ、そうだったなとおもう。つらさが限界に近づくと、彼女はまっすぐ降ろした両腕に力をいれて、両拳を震わせてことばをしぼり出す。

 うん、頑張っているんだね。なんとかそう応え、まわした両腕の内側に、彼女の小柄なからだから発する熱がゆっくり染み込んでくる。左の鎖骨に感じる小さな頭蓋の、とてもなつかしい重さ。ほんとうにほしかったのは、この重さだけだった。そういうことがぜんぜんわかっていなかった。ごめんなさい。

 


 大学時代のぼくの一番の親友が、この十二月に初めての子どもを産む。生まれる前から父親のいない子で、肌の色すら予測できない。夏のはじめにLINEで胎内画像が送られて来て、すでに女の子だとも聞いている。名前をかんがえてと言われていて、いくつかひねり出してはみたけれど、どうかんがえたらいいのかさっぱりわからない。

 あした日本へ帰るタイミングで今朝あんな夢をみたのはやはり、この出産予定のことが自分のなかでおもう以上に大きいイベントだからなのかもしれない。演劇のチケットが登場したのはたぶん、すこし縁のあったある演劇評論家がさいきん急逝したからで、そういうことがぼくの夢にはよく起こる。折り込まれたあのチケットは、けっきょく誰の手元に届くのだろう。

 

 大学時代の親友は、夢に出てきた女の子とも良い友達になっていたから、いまでも親友と彼女との交信はおそらくある。けれどぼくの前ではなにひとつ、彼女のことに触れたりはしない。そういう優しさは、とてもありがたいことで。つまりはぼくは、きっといまだに傷ついたままなのだろう。帰国のたび食事に誘い出してくれ、いま出産を控えるこの友人には、もしかしたらぼく以上によくわかっているのだなとおもうしかない。

 雑踏をなす人々の流れてゆく先は、十五歳まで住んだ古いマンション屋上につながっていて、屋上からは外部方向へ非常階段のゲートが口を開いている。高層階にあたるゲートのむこうには、ただ白い中空がひろがっている。

 



 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?