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クリスマスをめぐる冒険

 

 TwitterやFacebookでは、あたかもまだ日本にいるかのような書き込みを続けているけれど、これはSNS用に頭のなかで用意したネタの投稿が追いつかないからで、リアル身体がバンコクへ着地してからすでに一週間ほどが経つ。

 クリスマスの今夜は、近所の華僑寺院から響いてくる粤劇興行の甲高い雄叫びやら銅鑼やらが色々うるさい。クリスマスの夜にちょっと張り切りすぎだろうとおもう。というか、表通りから車輌ではアクセスできないような家の裏手にならぶバラック群の奥にそのお寺はあって、この粤劇の音曲が聴こえてきたつい先程まで、存在すら知らなかった。これまでは、どこであれ鳴らされる爆竹とか花火などの他で、その奥まったあたりから発する人為的な音が気になることは皆無だった。


 バンコク都心の少しはずれにある現自宅に住んでもうニ年半になるけれど、六階の自宅窓からも見下ろせるそのバラック群のなかにはこれまで、立ち入ったことが一度もない。バラックの列をつらぬく細い路地の入り口前はよく通るのだが、路地はあまりに幅がせまく、その路地だけが周囲の開発から完全に取り残されて古い木造家屋が軒を連ね、バンコク都心のちょっとはずれにはまだ湿地帯が広がっていたような時代からあるのだろう樹々も加勢して、昼でも視野があまり利かない。おまけに路地の入り口には、路上にせり出した相当に汚く小さな食堂があって、職があるのかないのか微妙な男たちが日がな屯していたりする。ずっと危険な香りしかしてこなかった。

 ただその路地に住む人々が、周囲のコンドミニアムやショッピングセンターや大学を居場所とする人々よりもかなり「古い」ことには、だいぶ前から気づいていた。鶏など家畜を飼い、祝祭日には爆竹を鳴らして宴を催し、手拍子で順番に歌を披露し合ったりする。だから年に何度かはその歌が夜更けまで寝込みの耳を襲いつづけ、未明には鶏が襲い来る。


 その路地がどこかへ抜けていることを知ったのも、かなり前のことになる。路地を二百数十メートル直進すると、別の道に出るらしい。グーグル・マップがそう教えてくれる。この「別の道」がまた問題で、タクシー運転手なら誰もが知る水準の主要道路からのアクセスが、どの方角からもすこぶる悪い。外部からのアクセスは悪いのに、その内側で妙に整然と、幾つもの区画を成している。グーグル・マップがそう言っている。この首都を構成する一つのエリアの閉じた内部に、別の町が成立しかけているような。

 謎である。このことの不思議さにもずっと前から気づいていたはずなのに、いまはこの不思議さの輪郭が妙に際立っている。なぜなのかは、言うまでもない。粤劇の甲高い雄叫びやら銅鑼やらが、その「路地」の奥から聴こえているからだ。


 目の前に横たわっていながらもう二年半、立ち入ることのなかった路地だ。この先ずっと立ち入らなくても、とくに支障はないだろう。To Do リストはとうの昔に時間破産を告げているし、たとえ路地の奥になにがあるのかを知らないままバンコク滞在を終える日が来ても、ぼくはそのことに大した損失をみとめることなくこの家を発つだろう。

 損失ってなんだよ、という話である。こういうときの習いとして、クレジットカードは置いていく。いや財布ごと置いていこう。時間は十時前、問題ない。家の鍵と一階玄関のカードキー、小額の現金と画面の割れたiPhoneだけポケットに突っ込んで、つま先をサンダルに突っ込む。たぶん汗ばむことになる。部屋の冷房はつけたままにしておこう。


 コンドミニアムの敷地を出るとき夜空を見上げた。

 濃紺の空に、白い満月。



 

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