光ってみえるもの
バンコクで暮らし始めてから、用事のない夜はスクリーンの光に身を浸すのが、すっかり日常になっている。映画館で映画を観る行為の一般性と特殊性。あるいはリュミエール兄弟の名が、そのまま光を意味する偶然の。
夜九時から十時くらいに事務所を出る。勤め先の会社が入る中小ビルで、そんな時間まで働くのは飲み屋を除けばぼくだけだから、夜番で入るガードマンのおじさんとはいつも、「またおまえか、おつかれさん」「またぼくです、おつかれさま」と目線でだけ挨拶を交わしてビルを出る。そうしてビルの出口付近を根城とする屋台なり、付近のファーストフードなりで食糧を買い込んで、近場のシネコンへと入る。
バンコク都心は朝夕の通勤時間帯に入ると、車道も高架鉄道もにわかにラッシュとなる。東京でなら我慢できても、南国へ移り住んでまでこれを耐える気には毛頭なれない。
またこの街のシネコンはいま「超」がつく供給過剰で、平日のレイトショーともなれば封切り直後のハリウッド話題作であっても、観客が十人を超えることは珍しい。広い劇場内に自分一人ということは逆によくある。タイでは同等以上の設備環境でも、新作映画を東京の数分の一の値段で観られる。日常の出費としてこの安価はありがたい。
そしてこちらでの仕事は現状、自己裁量の余地がやたらに大きい。
これらがあいまって、昼ごろに出勤し夜レイトショーを観て、日付が変わるころに帰宅するサイクルが、気づけばバンコクでの日常になっていた。
職場の入る古びた中小ビルの隣には、政府首脳や財閥トップの奥さまがたもご愛用の高級デパートがあって、最上階のシネコンは都心部でもずば抜けてガラ空きなのでよく利用する。チケット売り場に座る夜番の、小柄なポニーテール姿のおねえさんには明らかに顔を覚えられていて、「またあなたなの、なにみるの」「またぼくです、今宵はこれで」と目線と指先でだけ会話を交わし、劇場の暗がりへ潜りこむ。
日常だから、恐らくふつうのひとが余暇に娯楽を求め映画館へ行くようには、ぼくは映画を観ていない。食事もするし睡眠もとる。カップル席に寝そベりもすれば、見せ所のアクションシーンでトイレに出たり。暗闇でノートを書きつけページをめくり、気が向いたら体操を始めたりもする。ひとり貸し切り状態と思い込み、気ままに上半身を旋回させたら奥隅の席に他のお客さんがいて、じっと見つめられていたりする。そういうときは黙って座席に戻る。小恥ずかしい。
以前ぼくのこうした映画への接しかたを、昔のひとが能を観に行く感覚に近いかもと評してくれたひとがいるけれど、たしかにそういうところはあるのかもしれない。能鑑賞の醍醐味は、プロット展開の妙とか独創的な演出効果などを楽しむことにはあまりない。表現が行われる場そのものを味わうとでもいうか。さいきんは初見の映画でも、ストーリーに夢中になったり、スクリーンへかぶりつくように没入し続けることがずいぶん減った。
にもかかわらず、この日常には欠かせない要素となっている。東京でミニシアターへ通いつめた学生時代にもまして。いったいこれはどういうことか。
もう十五年近く前、バンコクの街なかである映画好きの法学生と知り合った。白い学生用のYシャツに黒いセルフレームの眼鏡をかけて一人たたずむ彼の姿は、繁華街を行き交う人々のなかで明らかに浮いていた。苦学生であるその彼が、週一度金曜の夕方にだけ自身に許す楽しみが映画だという。ぼくにとってそれは初めて一人で出かけた海外旅行で、かつ初めて路上で友人をつくる経験ともなった。不思議と意気投合してしまったその夜は、そのまま彼のアパートへと転がり込んで語り明かした。彼にとっても、ぼくは初めて路上で言葉をかけた外国人だったらしい。彼が声をかけてきたのは、金曜日の夜だった。
彼の出身地であるタイ東北部イサーンが、貧困地帯のイメージで一段低く見下される状況はいまも変わらない。汚職がはびこるなかで志を立て、奨学金を得てタイの最高学府で学んでいた彼は、望んでいたようにその後判事になれただろうか。いまもどこかで、初志を貫いているのだろうか。
この十年ほどは、例えとして欧州に限って言えばフランスやイタリアの映画などに顕著な、ひたすら表現性の極みを研ぎ澄ませる種の作品をあまり受け付けなくなっていて、それよりは映画の伝統としては周縁に位置するイギリスやドイツ、イベリア半島の作品群、さらには東欧、バルカン、北欧の作品のほうが好ましく感じられている。視覚的な表層だけを殴り描くような、監督の自我を超え出てスクリーンへ浮かびあがる形象たちに、どちらかといえば無頓着な作品群。
桁違いの大金をかけたハリウッドの商業大作は、この表層のみがひたすら豊かな方向性の極みとも言える。ジェリー・ブラッカイマーやジョエル・シルバーといったハリウッドの大物プロデューサーたちは、もはや大衆の欲望を汲み上げるのではなく、視覚情報を通して有象無象の無意識そのものを編みあげる。
ひとがみる“現実”は、多かれ少なかれ自意識の反映だ。言の葉に描かれる“他者”の図様には、多くの場合で目を背けたい自己像が投影されている。この傾向は、抱える現実感の堅固さを誇るひとほど皮肉にも強烈で、そのようにして社会や世界をめぐって語られる言葉たちへ耳を遊ばせているうちに、目蓋のうえのほうではカラカラと回りながら揺らめく万華鏡の、多彩色光の変幻する景色が流れはじめる。他者や社会を吟味し評価する彼や彼女の姿も傍から眺めるかぎりでは、万華鏡のなかに立って光彩に身を浸すひとすじの影と変わらない。そのように眺める自身もまた、闇の底から光を眼差す両の瞳をもつことに変わりはない。
かつてのぼくや法学生の彼が通った映画館は、降り積もった時間相応に老いてのち、いまなおバンコク都心でひっそりと営業を続けている。この街には珍しい名画座タイプへ転身を遂げ、入場料金は最新式シネコンの半額以下、けれども設備が古いため大抵はすいている。当時のままの建物から、古びた大きなガラス扉を押し外へ出るなら、真新しく綺羅びやかな全面ガラスの商業ビル群に視野を囲まれ、当時は存在しなかった高架鉄道の、窓明かりの列が頭上の狭い夜空をすべり抜けて行く。
彼だけが、ここにはいない。
いまぼくは、光をみている。
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