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雨季去りて、森奥より友来たる。

 

 京都東山のあたりで昼間、幾度か迷った。

 秋先とはいえ日中の陽光ふりそそぐ京都の路上はじっとり暑く、町外れにさしかかった住宅街の小径はいずれも起伏と迂回に富んで、見通しがあまり効かない。ときどき眼前に現れる疏水はぐにゃりぐにゃりと曲がりくねって必ずしも歩道や車道がつねに寄り沿うでもなく、タイの電話番号しか持たない自分のスマホが道案内になることもない。ゆっくりとシャツに汗の染みが広がっていく。からだの不快係数がじんわりと上がりだし、足と心が次第に歩き疲れていくこの徒労感は、ぼんやり楽しい。

 碁盤の目というイメージが通用するのは東大路までの話で、そこから先はかなり味わい深いというか、観光地化された哲学の道界隈を除けば一見凡庸でありながらもふしぎと《密》な戸建ての住宅街が、盆地の際まで茫漠と延びている。雨季の一時出家を終えたあとタイで読んだ森見登美彦の小説に、ちょうどこのあたりの疏水付近の曲がりくねった小径で怪異にとり憑かれる大学生の話があったけれど、さもありなんと思わせるような濃さをどうしてか感じている。それは生まれ育った東京郊外の住宅街には明らかに感じられることのない何かで、けれどもそんなことをぶつくさ脳裡へ巡らせながらとりたてて目的もなく、ひとの往来もまばらな平日日中の住宅地を、坊主頭に汗玉の群れを浮かばせうろつく自分はすでに怪異そのものかもしれない。

 


 関空からバンコクへの片道便が、1万500円で買えた。今年の秋先、関西に立ち寄ってからバンコクへ戻る道を選んだのは、そんな理由からだった。東京から新幹線で関西へ行くよりも、関西から6時間南方へ飛ぶほうが安い時代。
 友人が京都で始めた新生活が興味深く、機会があれば訪れてみたいと思っていた。時間の余裕もある。出費も抑えられる。このうえなく、良い機会の到来とみる。

 新居へ訪ねてみたいとまで思えたのは、主に環境的な理由による。尼崎の教会住まいから、京都の学究型シェアハウスへ。住人はいずれも京都大学に関連する独身男たちで、かつ皆がプロテスタントという属性の明晰な特殊感、固有性。「京都でひとり暮らしを始めました」というのとはまったく違う。あらかじめ時間をかけて形成されたコミュニティの網の目へ、身ひとつで絡めとられていく感覚。そこに興味が惹かれた。


 

 このシェアハウスの住人がひとり、所用でバンコクに寄るとの連絡が来て、先日会った。京都大学の森林生態学研究室に籍を置き熱帯の土壌を研究する男で、いまはタイ東北部とマレーシアボルネオ島の森林を実地の研究フィールドとする。今回は、そのタイ東北部での調査を片付け帰国するタイミングとの由。

 京都での滞在中、ぼくはおもに彼の部屋に寝起きしていた。というのも彼はふだん大学の研究室で寝起きしていて、自宅には朝シャワーを浴びに寄り洗濯などを片付けて昼前には研究室へまた戻る生活パターンだったため、時間的にも空間的にも睡眠スペースをちょうど間借りできたからだけれど、それゆえぼくからみた彼のイメージは、午前の明るい陽光に包まれ颯爽と現れる何者かとして固まった。
 部屋のなかはダンボールの山と、研究用に各地で集めた土壌から取り出した土壌エキスを保存する複数の冷蔵庫に取り囲まれた、畳一畳分のスペースだけが床を覗かせる状態で、採光は悪く夜中は冷蔵のモーター音が突然うなりだしたりとなかなか不穏で、白い陽光に包まれた明るい彼自身の印象とのコントラストが無闇に激しい。本棚の趣味はなかなか良かった。それからある夜、ふとんのなかに大きな蟻が入ってきた。長い、長い旅をしてきたのかもしれない。

 


 待ち合わせ場所にしたのは、バンコク都心のとある大型書店に付随した喫茶店で、そこは本屋のスペースの一角であるため音楽もあまりかからず、客の出入りも概して少なく、隠しメニューにお気に入りの品をさいきん見つけたりで、日常的にぼくはよく行く。1,2時間そこで本を読む間に、窓外の街の景色が移り変わっていくのを観るのはとても落ち着く。自分がその店によくいることは、しかしタイでの知り合いには誰ひとり知らせたことがない。タイにおけるそんな日常の隠れ場空間に、京都で毎度朝の陽光ととも現れていた友人がぼさっと立っている光景の違和感は思いのほか、美味だった。
 新たに見つけた極私的空間と、新たに知り合った友人とか期せずして結節点を結んでいく。こういう些細な出来事のくり返しによって、異国の土地や見知らぬ通りはゆっくりとホームになっていくのかもしれない。

 彼の名は森くんという。森で研究している森くんという冗談みたいな話だけれど、本当だから仕方がない。下の名前はもっと冗談みたいな水準で彼をよく表しているのだけれど、一応ここでは伏せておこう。
 縁は異なもので、彼がもうひとりのシェアハウス住人とともに以前バンコクを訪れた際には、ぼくの半年前までの職場にも偶然訪れて様子をよく覚えていた。彼がいま研究フィールドとするもう一つの土地ボルネオ島キナバル山の中腹域を、ぼくはこの春なかば、思いつきで試みたキナバル登山の途上で通過したばかりだった。袖振り合うも。

 


 彼の現行プロジェクト下でのタイ滞在は、助成金の都合で今回が最後になるらしい。ぼくが初めてタイへ来たのは中学生の時で、森くんとの待ち合わせに使った大型商業ビルはまだなかったし、バンコク都心の姿やスケールは今とは異なるずっとささやかなもので、森くんはその頃ネパールに住んでいた。別れ際、タイへまた来たいなと彼はつぶやいていたけれど、たとえば来年のいま頃などは、ぼくのほうもどこにいるのか、まったく読めない。世話になった京都のシェアハウスでは、すでにメンバーがひとり入れ替わったそうだ。

 来年のいま頃も、森くんと待ち合わせたこのビルの麓やこの喫茶店の前を、きっと多くの人々が通り過ぎているのだろう。けれどもその誰ひとり、ぼくらが一年前そこで語り合っていたことを知るひとはたぶんいない。窓外の街の色合いが、濃い藍色に染まっていく。心のなかにだけ残るもの。高架鉄道の窓明かりの列が、遠くを水平に滑っていく。だからこそ、価値のあるもの。黄色く光る矩形たちの行進が、音なき音楽を奏でている。あとになって、そうと気づかされるもの。



 

   森くんと語らう夜:
   http://twitcasting.tv/pherim/movie/119746491

  

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