※電波状況が昭和です。
一時帰国のあいだ、ぼくは携帯で連絡をとれない人間になる。
日本の電話契約がないからだ。
SMSはないし、メールもLINEも常時は使えない。だから待ち合わせた相手から、ぼくに急な連絡が必要になったとしても、ぼくのほうでその知らせを受けとるのはたいてい本人と会ったあと、ないし会えなかったあとのことになる。
まことに不便で、申しわけない。クレームもよくいただく。いまはできるだけ金をかけない暮らしを心がけて云々というエクスキューズもあるにはあるけれど、要は単なるぼくのエゴである。この状態が、これはこれでけっこういまは楽しいのだ。けれどもそれゆえ近い将来、日本でプリペイドSIMを使う日もたぶん来る。「この状態」に、いいかげん飽きるはずだから。それに日本のSIMもだいぶ安くなってきたので、言い訳もそろそろ立たない。
何が楽しいのかを、ここで少し披露する。
携帯ツールで連絡がとれないと、言うまでもなくまず待ち合わせに苦労する。たとえばある地下鉄の駅改札で待ち合わせる。相手はいつもの感覚で、「駅改札に~時」とだけ事前に送ってくる。ぼくは勝手に
「ああ、あの駅なら改札口はきっと一つで、だから相手はこう送ってきたのだな」
と憶測し、現地へ向かう。着いてみると、改札は二つある。相手はいない。相手が改札外で待つ可能性も考えて地下鉄出口へと昇る。いない。一度改札を出てしまったので、地上の道をもう一つの改札へ降りるための地下鉄出口まで歩く。
こういうことがよく起こる。当然ながらこの間、SMSやLINEは一切できない。東京メトロもJRも、その他各種の公共機関もみな独自アプリまで出してwifiサービスを謳ってはいるけれど、実際に使える場所は平面的にみるならほんの一部だ。
こういう状況に陥ると、ひとはいらだつ。それが楽しい。ぼくの場合は完璧なる自業自得ゆえに、相手へかける迷惑も込みでいらだちは一層高まる。まわりまわって、このいらだちに巻き込まれる自分を観察するのが面白い、となってしまう。たとえばこの日ぼくが時間通りに誰かと会おうと、それが一時間遅くなろうと、それで世界の何が変わるわけでも実際ない。アジア経済の流れは微動だにしないだろうし、日の入り時刻に変化は起きない。だったらこのいらだちの根っこに息づくものは何なのか。こういう心性につきあわされる相手には、ほんとうにいい迷惑だなとおもう。
別の地下鉄出口をさがして歩くまでのあいだに、これまで知らなかった路地に入り込んだりする。知らなかった昔ながらの揚げパン屋を見つけたりもする。まことにぼくはいらだっているけれど、その揚げパンがとても美味しかったりする。ともあれ待ち合わせた相手には申しわけない。相手のせいではまったくないので、ぼく以上にいらだっているのかもしれない。とても申しわけないから、揚げパンを半分あげる。
今回の一時帰国でぼくは、タイの家で使っていたデスクトップパソコンを日本へ持ち帰った。代わりに新調したパソコンをタイへ持ってくるつもりだったけれど、諸々の事情があってやめてしまった。諸々の事情とは言うけれど、それもまぁいいかなと思ったのが一番大きい。
タイ移住前のぼくは、凄まじいマルチタスク野郎だった。十代の頃に左耳と右耳へそれぞれ別音源のイヤホンを差して、二台の画面を並べてレンタルビデオとNBA中継を同時に観たり、英語中継と日本語実況を同時に聴いたりしていた延長で、動画視聴とテレビ視聴とネット書き込みやブログ更新と複数のネットゲーム同時プレイを並行するのが日常で、苦にならなくなっていた。外出時にもWiMAXは必需品。
苦ではない、と書けば何かくだらない自慢のように読めるかもしれないが、そうではない。ひとつのことに集中できなくなっていた。映画館の観客席の暗がりで、二時間もひとつの作品に集中するのは正直つらいし、本を一冊読み通すなんてもってのほか。
いま、バンコクの暮らしでぼくの手元にあるのはこちらで買った数年前発売の、中国製最低価格帯の低スペックノートPCで、かつ自宅は懐かしきADSL環境であるために、ときにシングルタスクもままならない。が、文章であれば書けるのね。いくら書いてもそこそこ耐える。タイ文字キーボードにはもう慣れた。
マルチウィンドウにより、初めてこなせる量というものはある。一方で視野の制限により、内圧が高まるということもある。より遠くへたどり着けるのは、たぶん後者だ。
今月の初め、東京国立博物館の《インドの仏》展に並ぶガンダーラの弥勒像を前にして、仏教思想の専門家(ニー仏≒魚川祐司さん)によるレクチャーを耳にしながら、「弥勒が待ちつづける56億7千万年があったなら、海外ドラマも全部観れるな」とぼくはつぶやいた。つぶやいて我ながら驚いた。いいなと本気で思っていたからだ。
こどもの頃、やりたいことは全部できると思っていた。好きなアニメは全部観られるし、やりたいゲームはいずれ全部クリアできると信じていた。いまでも心のどこかでちょっと思ってそうなのが恐いけれども、この願望に照らせば物理的には明白だ。ぼくの人生はすでに時間破産を起こしている。
でも、ギアナ高地に立ちたいんだよ。
いつか。
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