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2025 昭和💯百年 003

昭和51年 

ユーミンが荒井由美として、
デビューしてから50周年が去年のことだ。


aikoや、椎名林檎や、あいみょんや、
アイナジエンドや、iriが50周年を迎え、
クレオパトラみたいなステージ衣装で
小林幸子みたいな芸風をするとは思えない。

しかし、
ユーミンだってデビューした頃はそうだ。
どちらと言えばあいみょんみたいだった。

昭和47年

私が「翳りゆく部屋」を聴いて泣いたのは、
椎名林檎の「茜さす帰路照らされど…」の後で、
彼女がファズの効いたベースを走らせて、
翳りゆく部屋をカバーした1999年以後だ。

翳りゆく部屋で夕陽を見てた彼は
いつもの交差点で頬にキスをして消えていく。

ヘッドフォンを耳に充てる
アイルランドの少女が歌う
夕暮れには切な過ぎる
涙を誘い出しているの?

       (茜さす帰路照らされど)

輝きは戻らない わたしがいま死んでも

            (翳りゆく部屋)


ユーミンも、椎名林檎も、私も、
毎日毎秒自殺願望と戦っていたかと思えば、
死ぬ前に生まれ変わるみたいな反則技で、
本当は一度も死なないのだから、
ちょっと都合が良すぎる。

でも本当は違う。

死ぬのと引き換えに生き延びる術を手に入れ、
自分が一番大切にしているものを捨てて忘れる。

それはもはや、
その尊さが殺されたのと同じだ。

自殺は絶対ダメだ。遺された者が悲しむ。
この理由が100%間違っている。

遺された者のために生きてないからね。

いやいや、それやったら
残されたものって言うなら不倫の方があかん。


自殺は死因のひとつであって、
尊厳性を言うなら、
救うべきとか他人が力説すべきではない。

輝きは戻らない。
だから生きている意味がない。
それ以上の尊い気持ちは存在しない。

そんな尊さを失った相手に
絶対に、絶対に言ってはいけない言葉

「生きていれば良いこともある。」

それは、おまえらの側の論理だ。
尊さを奪われた水面には一滴たりとも響かない。

人の尊さというものは、
of the peopleでもなければ、
by the peopleでもなければ、
for the peopleでもないからだ。


私はそう思う。

自殺を礼賛したりする必要はない。
だが中途半端に助けてしまってはいけない。

誰にも本人ほどの理由はわからないが、
死を選び実行したという尊さは守られるべきだ。

三島由紀夫は切腹。
桂枝雀師匠は首吊り。
カートコバーンはライフル。

三浦春馬も、
竹内結子さんも、
上島竜兵さんも、

翳りゆく部屋に、
たぶんひとりで居ただけだ。

私は、
私がいま死んでも、
輝き✨が戻らないとは思わない。


仕事や仲間や家族や作品の輝きは、
まったく変わらないどころか深みを増す。

生きても、堕ちても、
廃れても、死んでもだ。


その美しさのピントや露光は、
まったく変わらないからこそ、
死にたくなるほどまでに怖くなる。

輝き、とはその畏怖に対峙した尊さだ。

生きていれば良いこともある。
そんな程度の美しさではない。

知らんけど。

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