見出し画像

自分だけ良ければいい


まず、
自殺は悪い死に方ではない。
遺されたものは、はなから遺したとも
思われてないから自死を決断できる。

猿之助のスーパー自殺幇助は、
古畑任三郎なら殺人事件になるはずだが、
ワンでもない家族の、ピースではない結末。

歌舞伎王にオレはなる!という覚悟もなく、
醜態を晒す羽目になった哀れなストーリーは
そのまま歌舞伎の演目になりうる。


息子さんの生き方に影響が及ぶし、
それは比嘉龍二が生きていたとして、
LGBTQどうのこうのではなく、
家族より自分らしさを優先する順番が違う。

何よりパートナーだったペコさんが
自分を責めたりしないか心配になる。

初めから、この完全体になってから
事実婚なり、子育てなりを決断したら
こうはならなかったと思う。

比嘉龍二がいちばん
古臭いアイデンティティに囚われていて、
世間体や誹謗中傷に内心同調していたから、
稚拙で脆弱なカテゴライズを自縛して、
このような、やっぱりそうなんやな最期。

ありのままの自分で生きていいなどと、
私たちは誰もが思って生きてはいない。

それは、
自分とは、汚ならしくて図々しい
独善的なエゴの発露に過ぎないからだ。

そんなやつばっかりなんやから、
開き直って汚れて生きれば良かったのにな。

死んだらかわいそうて言うのは甘い。
ここまで甘えたクソ人生の最期が自殺。

どんだけ!

そう言ってやらないとな。
自分で選んだ自分らしさの醜態なんやから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?