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デッドエンドの思い出

47歳になった私は、
よしもとばなな先生の『デッドエンドの思い出』を
随分前に読んだのだが、あまりにも美しかったので、
その読後感のまま日々を送っている。
  


ニュース番組で流れるドヤ顔の紅葉🍁より、
銀杏が真っ黄色に染まる季節が私は好きで、
それは本当は12月のことなのでそれは冬なのだ。

ハッピーエンドなどこの世には存在しない。
人間と人間が本当に別れるときは死別だ。 
尊敬と誇りを胸に抱いても死別は悲しさが上回る。   

人が死ぬときに、人はベラベラしゃべらないし、
片手でスマホを操作しながら、ヘッドホンで 
spotify を聴いたりしない。


あと13年後、
私の母は恐らく生きていない。 
 
私はそのとき60歳になるわけだが、 
それくらいでもう十分だから死んでもいいと思う。


2038年の地球には、
私にはやるべきことはないし、
街には人が少なく、たぶんガソリン車も走っていない。
 

そもそも少子化はきわめてSDGsなのだ。
多死化の方が人口減の風呂の栓だ。

ぬるみきった日本という🇯🇵湯船に、
新しいお湯はちょろっとしか入らず、
ジャバジャバ底から抜けていくことになる。


生まれる子の数が50万人になるかもしれないし、
10倍以上の500万人の老人が死んでも驚かない。


ガソリンをやめても、
電気を二酸化炭素抜きで作れるわけではない。

火星で住むより、アフリカや南米で住めるような
開発をしたがらない理由はあほみたいな理由だ。


こどもが授からなかったり、
そもそも異性と結婚しないことが、
まったく不幸なわけではないと言っても、
本当の笑顔で聞いてもらえることはない。


バズってる、とか映えるとか、 
未だにそんなシャボン玉で満足しているバカどもにも
まるで突然の停電のようにデッドエンドは訪れるのだ。


カネよりモノ。
モノより思い出。
思い出より「いま」が美しくないとね。


長生きしたい人と、たぶん私は話が合わない。
 
巨人フアンとも、 
プーチンやトランプの支持者とも意見が合わない。


それどころか、 
相手の言い分を理解してあげられる自信が 
私にはないけれど、それで構わない時思っている。


別に批判も攻撃も報復もしない。
ただ分かり合えないというだけの話なのだ。

解決するのを拒んでいる連中すら存在する中、
死ぬまでにどうにかできるわけなどないと自覚したら
それぞれがわざわざ対立する必要がなくなる。


知らんけど。



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