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09/05:名乗るのは畏れ多く

midjourneyのイラストを作り溜めている。ゲームを作るのに汎用背景として使い勝手が大層よく、何がいつどうなって使えなくなったり、陳腐化したり、あるいは更なる技術向上があったりするかわからないので、触れるうちにとにかくやりこんでおくか……というのが理由というか、気持ちだ。

自分のクリエイティブって全く信じていないんだけれど、振り返れば常に何か作ったり表現したりしている。気がする。今だってゲームのルール、テキストを暇さえあれば考えているし、illustatorでなんちゃってなグラフィックの作成も始めた。最近はイラストに推され気味だけれどもたまに曲をつくって、ピアノを弾いて……と、赴くままに、あるいは必要に応じて何かを用意している。

それでも自分がクリエイターではないと思うのって、多分マネタイズが覚束ないからだ。職業としてのクリエイターという肩書に自分が該当していないからクリエイターじゃないよね、と考える節がどこかにある。
まあ、職業クリエイターでありたいかと言われると……ありたいっちゃあありたいけれども、それは多分いいところだけ見た時の漠然とした希望であって、現実を全部織り込んだうえではそこまででもない。と思う。

別に職業でなければクリエイターでないとも思わないけれどもね。ただ、マネタイズまで行かないなら何か作ってみる事って別にみんながやっていることだし、それがクリエイターならクリエイターの定義ってかなり意義薄じゃない?と思っているところがある。これは「みんな」の観測範囲の偏りに起因しているっぽいので、そこから認識を引いているのが誤りなんだろう。自分が思っているほど、なにか手遊びしている人の割合は多分多くない。

自分に紐づくラベルを未だに整理できていないところに未熟さを感じないでもないけれど、それを未熟だと思うところが本質かもしれない。恐らくそこまで厳密にラベルを貼る必要はない。何物でもないことを受け入れて、ぬるっと手遊びを続けることに不安を感じない精神を持ちたいところ。

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