週次報告14(敗北の部屋)

「推しの子」を買って帰った。

内容がどうとかいう話はさておき、無料の1話を読んで、「負けてしまった」と思った。だから買った。

自分には創作物と勝ち負けを決める癖がある。意図的なものなので、癖と言うよりは取り決めかもしれない。そして、創作物に負けたと思ったら、それを買うことにしている。

勝ち負けの機序はこうだ。

僕たちは演出や表現の効果というものを理論として学び、あるいは創作物自体から経験することで、感動を心とは別に、理屈として認識することができるようになる。……その分、人により差はあれど、創作物は「ガワ」を排した骨組みとして観測されるようにもなる。再現性の理由を学べば、当然そうなる。

自分はそれを学びの尺度として捉えている。面白さを「面白い構造」として見られたときに、自分の学習効果を認識する。「面白いな!」と感じるか、「面白さの構造がしっかりしているな!」と感じるかを、作品を鑑賞した後で毎回振り返っている。

自分の学びが追い付けば面白さを構造として見ることができる(=勝つ)し、追いつかなければ面白さを脊髄で受け止める(=負ける)。不勉強ゆえに構造が見えないことで、自分は作品に負けるのだ。

直近では「推しの子」に負けた。「映画大好きポンポさん」にも負けた。「アクタージュ」に負けた。徹底的に大敗北したのは、「十三機兵防衛圏」だった。体験版時点からボコボコに負かされた。そういえば昨日、少し前に負けた「ルックバック」が届いた。

こと漫画に関して言えば、負けた作品は全て物理書籍で買っている。電子書籍で事足りる性格なので、物理版を買う生活上の理由はない。でも、負けたら買わなければならない。負けたら領土の一部は持っていかれる。自分を負かした存在に部屋の面積を占領されるのは当然のことだ。
映画やゲームの場合はサントラが敗北の証だ。これもDLでなくCDを買う。理由は同じ。

負けてきたものが実体化して自分の部屋に収まる。自分を負かした作品に囲まれて、負けが可視化される。帰宅して部屋に入れば、負けた記憶が甦る。

自室は敗北の歴史だが、悪いことだとは思っていない。それら全てはいつかの自分の武器だ。




※まあ、それとは別に、自分の好みであるとか、一貫したコンセプトを感じたとか、そういった理由で「負けた」と感じることもあるので、一概に上記の理由だけで勝ち負けが決まるわけではないが……

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?