09/02:遠くに悲嘆し、近くに絶望する

今は新幹線の中でキーボードを叩いている。
窓の外は夜なので大した景色は見えないけれども、遠くを見やるとちらほらと生活の光があって、自分の移動時間と移動区域は誰かの主体的な行動時間であり行動区域なんだと感じる。

遠くを見るということは結構寂しい。寂しいという言葉が的確かはともかく、相対的に自分が小さくなるような気がする。生活区域の中で、自分の家で、歩けば届く場所しか見ずに過ごす日常の中で、不意に見る景色に手が届かないのが何だか喪失感がある……というのは結構あるんじゃないか。あるいは反対に、未知の領域の存在を喜んている精神状態で見る眺望で、手が届いてしまうことへの絶望……拡張性の無さに喪失感を持つこともあり得る。
旅行でもなんでも高いところに登って街や山を一望した時にはるか先の場所を畏怖すること。遊園地の観覧車を見た時に、敷地の境目を目に入れて夢物語の狭さに絶望すること。どっちも経験があるぞ。

Google mapで不意に海の場所に寄せることがあるのだけれど、な〜んか妙に怖く感じる。一面のあの青色。あれも見えていて、それなのに掌握できない場所に喪失感、海であることを踏まえて絶望とか、恐怖とか、諸々を混ぜこんだ気持ちなんだろうなあ。手に入らない場所を嘆くって、どんな贅沢だよという感じもあるけれども、ね。


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