09/08:座遷

読める漢字が今よりよっぽど少なかったころに「席巻」という字を見てそれぞれの字を「座」と「遷」に読み違え、「ざせん」と読み上げたことがあった。 それを修正する機会がたまたまなく、多分中学生くらいまで引きずった。その結果今なお「席巻」は瞬間的に出されると「ざせん」が最初に頭に浮かぶ。習慣と言うのは恐ろしいねえ……

どうでもいいところだけれど、今思えば「席→座」は广で形が近いのでいいとして、「巻→遷」は着目するところがそこかという感じ。概形すら違う。

そういう明確に悪気のない、習慣づいた言葉の誤用癖みたいなものがあるので、言葉の誤用・誤読は文脈がわかれば意図的にスルーする(近しい友人には言うが)ようにしているのだけれど、高校生の時くらいから今に至るまでずっと、「固定概念」だけはかなり気になってしまう。

固定概念を許しがたい理由はまるで不明で、正しい「固定観念」が何か思い入れのある言葉というわけでもない。類似の「既成観念」は気にならない(そもそもそんなに聞かないとはいえ)ので、言葉の正しさを重要視するフィールドでよく使用していたからつられて……ということも恐らくない。

無意識の記憶に引っ張られているんじゃないかと思っていて、それはつまり「当時嫌いだった誰かが使った誤った言葉だったので紐づけられた」みたいな話。敵認定した相手って言動全てが悪く見えるから、そういった些細な誤用も即座に「巨悪の甚大な瑕疵」みたいな捉え方になったんじゃないか。そうだとするならアホでかわいげも人間味もある感情の動きだが、その時のミスった紐づけが今なお影響しているのはかな~り迷惑な話だ。習慣と言うのは……本当に恐ろしいねえ……

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