週次報告8

最近、SNSを見る回数を減らしています(結果的に発信も減っています)。
情報を取りに行くと称しながら、実質的に自分の時間を削っているように思えているためです。
手の届く範囲でできることを粛々とやっていく。外界に振り回されない限界を覚える。色々と鍛える時期かと思っているのもあり、ちょうどよいタイミングでした。

友人が3月くらいに0からイラストを練習し始めて、めきめき腕を上げています。その様子を見て、上達とは「体躯の動きの繊細さの制御」よりも「目的物を獲得する方法を知っているか」なのだなあと感じ入っています。
回りくどい表現ですが、つまりは「ツールの使い方と使い時を知っていること」が見た目の腕前には大きい要素になっている、ということです。

恥ずかしいことですが、最近までそのことを認識(あるいは言語化)できていなかったんですよね。たとえばデジタルの美しい風景画を見た時には「この雲の形状をひとつひとつ描くなんて、どれほど長い修練を積んだのだろう」などと思っていたわけです。
いやもちろん、それは素晴らしいことですが、たとえば「ブラシ」「スタンプ」のような技術を見聞きしたときに、ようやく「ツールのすごさ」といいますか、「ああ」と膝を打ったのです。なんたる盲点(※)だと。

芸術分野における技術というものを、生活上の技術(たとえば「洗濯機」とか)とは無意識に切り離していたんですね。頂を目指す玄人の険しい道を往くのでなければ、雲を描くには、必ずしも雲を描く必要はない。「表現手段の増加」にばかり意識が向き、「労力のショートカット」としての技術に思いが至っていなかったということです。

彼にイラストを描くツールとしてiPadを提案したのは自分であったことが思い出されます。なんたる皮肉でしょう。自分が勧めたものの潜在能力……その技術を、自分ごととして理解できていなかった。
しかし、彼の様子を見なければ、この盲点を認識することもはるか先のことだったことを思うと、この迂闊さに感謝せねばならないのかもしれません。はるか先に気付くならまだ幸いで、まったく気付かずに生を終えていた可能性さえあります。

冒頭で「色々と鍛える」と書いたのは、その気づきゆえとも言えます。「自分が今から遥かな修練に身を投じるのも」と躊躇していた障害が消えたわけです。すぐそばにはパワードスーツがあった。道のりは決して険しくない(長くないとは言いませんが)。あとはやる気だけ。

さあがんばるぞ。



※ツールとしての知識はあったので、どちらかといえば「オリジナリティ」のような概念への理解が深まって気づきに至った可能性はありますが、いったん今回は措きます。

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