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文脈がわからないものは面白くない

なんだかやけに眠いなあ、昼寝をしようか→寝てもダルいなあ……これはもしかして気圧じゃないか→調べて下がって答え合わせ。
……という土日だった。相変わらず肉体に精神が引っ張られる日々を送っている。低気圧ラッシュは土曜の午後からだったので、一応出かけたりはできていて、予定丸つぶれにはなっていないのが救い。

その出かけたりというのが「装いの力―異性装の日本史」展。東京に来てからそこそこ経過しているが、文化へのアクセスが死ぬほど良くなったという割にそこまで活用できていなかったことをもったいなく思っていて、ふと調べてみたら大いに興味のある企画があり、重たい腰を何とか上げて行ってきたわけです。僕が異性装やTSに興味を持っている理由は割愛します

知っているものも、そのうち知らない側面も、全く知らないものも、それぞれたくさんあるわけなんですが、当時生きていた人の営みを後から連続性、系譜として解釈して、歴史というラベルを与えるのは、当時からすれば「意識なんてしてないよ」かもしれないと思うこともあり。ただ、無意識の中にある文脈、法則が発見できるというのはやっぱり面白いなあと見入ってしまう。全部全部知覚しながら生きているわけがないから、正しさと道義と事象って別なんだよねと。僕らも後世にどう思われるかはわからないし。だからこういうのって結局好き勝手に想像巡らしてるのがいいんだと思います。

この辺が特にお気に入りでした。
白縮緬地衝立梅樹鷹模様 振袖
里見八犬士之内 犬坂毛野

こんなこと書いてても、子供の時は博物館って退屈な側だったりして、うーん結局文脈ありきというか。モノ自体がきらびやかだとか、遊べるとか、目を惹けば別なんだけれども、文脈ありきのハイコンテクストカルチャーだと、なかなか理解できるまでは、時間がかかるよね、そりゃ。

まともにいわゆる「歴史」っぽいものに興味を持てたのは高校古文だったので、最近は古文漢文不要論とか言われたりもするけれど、数%の子供達への、ハイコンテクストカルチャー:「歴史」文脈への入り口として考えたら、まあまあ導線として機能してるんじゃねえかな……やり方はともかくね、と思うところはある。これも肌感なので後世でどうであったかの判断とはまた別なわけだ。

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