別記

別記です。本編に入れるにはどうでもよすぎるな…と思ったので、書いたものをそのままコピペしました。中学受験のことなんですけど、実際には地獄の一年の内訳という感じでしょうか。どうぞ本編にそのままぶっ込んでください。

・中学受験

私が進んだ中学は中高一貫の女子校で、偏差値はそんなに高くないけれど第一志望でした。同時期に受けた他の学校は落ちたのですが、ただ一つだけ、1月末にお試し受験で受けた地方の寮付きの中高は受かっていたのでした。でもそこはお試し受験でよく知らなかったし、地方だったし、実際そこしか受からなかったら本当に行っていたのか?と考えると少々疑問ではありますが、じゃあもし、その中学校に進学していたら。親元を離れ、地方で寮生活をして、中高6年間共学に通っていたら。今とはかなり異なる人生を歩んでいたのではないかと思いますし、こんなひねくれて拗らせている人間は誕生しなかったのではないかとすら思います。想像してみてください。地方の広い学校、知らない土地で家族以外の他者と相部屋で6年過ごし、学校にいけば男子も女子もいて何もかも自分でこなす新しい生活と、都会のそう広くはない学校で6年間女子とキリスト教のお話で過ごし、家では家族に甘え、しまいには先生にガチ恋を拗らせる生活、どちらが健全な精神が育つと思えるでしょうか。おそらくほとんどの人が前者と答えると思います。(というか後者の最後がめちゃくちゃ不健全)。ただこれはどちらが健全かというだけの話であって、自分の過ごした環境が最悪だったという話ではありません。
現に私は、第一志望の学校に行ってよかったと思っています。確かに私はあそこでひねくれたし、恋愛拗らせメンヘラが誕生した原点だと思っていますが、あそこに通わなければできなかったであろう経験をいくつもしてきました。それは、良いことも悪いこともたくさん。良いことと言えば、入った部活で新しい楽器を始めて世界が広がったこと、休みがちだった私の面倒を根気よくみてくれる心から信頼できる友人や先生を得たこと、聖書の言葉を聞いて自分と向き合う時間の作り方を知ったこと、他者に寄り添うとはどういうことかを考えるようになったこと、、他にもたくさんあります。ジェンダー的観念に囚われずに育つことができたのもそのひとつです。
その反対に、つらいことも結構ありました。担任の先生がセクハラまがいの人だったこと、うつ病であまり学校に通えなくて、それなら学校やめた方がいいんじゃないですか?とその担任に言われたこと、ストレスからか夜中に悪夢にうなされた自分の叫び声で目が覚めること、胃が痛くて息もできなくなって胃カメラを飲んだことなど、、(もはや恨みごとですね)、多分他にもなんかあったと思うのですが、一番つらかった年はこんな感じでした。多分人生で一番つらかったのはいつかと聞かれたら、間違いなくこの年を挙げると思います。でもそのつらかった経験も、今思えば貴重な経験だったとも思うのです。その地獄の一年が終わったあとは胃が痛くなることもほとんどなく、変な夢を見ることすらもめっきりなくなりました。だからこそ「あの極限状態にならなければ経験できなかったことを経験させてもらった」という考え方も、今になるとできるようになるのです。もちろん経験しなくて済むならしないに越した事はありませんが。
先述の地方の中学校に行っていたら全く別の人格ができていたと思うので、それはそれで興味はあるけれど、6年間で得たいいことも悪いことも、今の自分にかなり役立っていると感じているので、戻ってやり直したいと思うほどではないなと思います。しかし、そこが一つの分岐点であったこともまた確かです。そして、後でまた書くのですが、私の文章を最初に褒めてくれたのは中高の国語の先生でした。それゆえ、私の「文章」はこの場所から始まっているのではないかとも思うのです。


……地獄の一年の内訳はこんな感じでした。もう胃カメラは飲みたくないし、地方の中高に行ってたら今こんな文章を書いてないのかもしれないですね。パラレルワールドっぽい。