2017年のこと

http://holysen.hatenablog.com/entry/2017/02/02/150239

・「私なんか」を愛する人ではなく、私ではない新しい世界に連れて行ってくれる人に憧れ、好きになってしまうという問題
→やっぱりここだと思う。わたしの場合はネガティヴじゃなく、ポジティブで、わたしはめちゃめちゃ面白い人間だけどわたしの恋人はわたしよりもはるかにめちゃめちゃすごい人間でいてほしい、そうじゃなきゃいや。いわゆる、理想が高いってやつか。

・自己肯定感の低い人は根源的に「負債」(罪悪感)を抱えているのだと思います。だから、ギブ&テイクで言えば、ギブをし続けなきゃいけない存在なのです。だから、「愛してくれる人」なんて困るわけで、「愛してくれない人」に尽くす方がしっくりくる
→罪悪感にしっくりこない。ギブし続けるのはなぜか。やはりマウントしたいのだな。与えることができる人間は奪われない。もっと単純に、失うのが怖いんだと思う。与えることができる、選択肢をもっているのは自分、という関係性じゃないと始める気にならない。
→でも、かといって相手がドMであるとか、操ることができるタイプではだめ。最初にかいた点にあるように、わたしの恋人はわたしよりもはるかにオカシくないといけない。
→ということはつまり、オカシくて絶対的な対象を一方的に愛したい、選択肢をもって自ら相手に隷属したい。

・彼女らは基本的に「被害者」という立場でいられるので、「責任」を負わなくてよいという点で楽になれるのです
→ここは逆だな。選択肢をもつ以上、イニシアチブをもつのはわたし(選択的にドMになりさがって、相手にイニシアチブを与える、という方法)で、メタ構造でわたしは加害者側である。責任をもってることが快感。だからろうくんがいったとおり、選択した時点で責任はある。

土台がいっしょ、と言ったのは
・変な男に好かれる
・愛されるより愛したい
・自己主張が苦手
→つまらないと思われるのが怖い、受け入れてもらえないのが怖い
この点が同じだから。ほかに言及されてる内容はそれがどうみえるか、それらの点がどう行動になるか、という外側のことなので、そこは問題にしてない。

でも土台わりとどうでもいいや
一番大事なことは
9.カップル単位の恋愛観
に書いてあった。

恋愛してないことへの劣等感
これさえ克服できればいい。たとえば、わたしは恋人がいない、という生まれたときから現在に続くまでの結果に対してひどい劣等感をもっているが、なぜそれが劣等なのか、劣等感を生んでいるのかはうまく説明できない。
少なくとも、わたしがみてきた様々なカップル、クッソみたいな人間がやってるしやってることが多い。
恋多き、という人間で、人間的に尊敬できるひとはそんなにいない。それこそオカシイという点でのキュリオスや、関心はあってもリスペクトにはあまりつながらない。
なのにもかかわらず、恋愛をしてないことに対して劣等感を抱いてしまう。意味がない。劣等感は払拭せねばならぬ。

そしてシングル単位での恋愛観
ほんとうに必要なのはこれだ。し、これをいま現在も実践している。ふたり、になったときにひとり、であることが圧迫される必要はない。ひとりとひとり、という関係性がもっと重視されるべきだし、結局のところ、そういった感覚に対して理解があったり敏感であったりすることも、わたしの恋人として必要な条件である。

やっぱりネット婚活しようかな!2017!

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