母が病気になりました。
私が高校一年生の時に母が子宮頸がんと診断されました。
正直、治ると思った。
私にとって病気で死ぬなんてテレビの世界だった。
前の記事にも書いていますが
結論から言えば
母は私が高校2年生の時に亡くなりました。
化学療法、放射線治療、食事療法
あらゆることをためしてきました。
抗がん剤で母の髪の毛が抜け落ちて絡まってしまいどうしようもない状態になってしまった時、私は笑いました。笑ってあげたほうが気が楽になるかと思ったんです。でも母は外見をすごく気にします。女の子なら当たり前ですよね。薄くなって頭皮が見え、髪の毛が絡まった状態で笑えるはずありません。必死でした。
どうしたらいい?
どうにかしてよ!!
切っちゃって帽子被ろう?
ウィッグ必要だね探そうか
ボディイメージの変容を受け入れることは誰しも時間がかかります。帽子を被ることもウィッグを付けることも本人は嫌がりました。
徐々に受け入れてくれてウィッグを付けながらこれヅラですってバレバレじゃない?と笑顔を見せてくれるようになりました。
母の、病人の、笑顔には救われますね😅
母は強がりです。私と同じ。
だから弱音を吐くことはありませんでした。
でもある時、
痛い。身体が痛いよ。助けて。助けて。
と私の名前を呼んできたんです。
体をさすりながら
どこが痛い?ここ?揉んだら少しは楽?
声をかけると同時に今まで我慢してた私の涙が溢れ出してしまいました。
泣いた姿は初めて見せました。
ごめんね、、ごめんね、、
母は謝りながら私を痛みでどうしようもない身体で抱きしめてくれました。
その身体は暖かかった。
だんだん容態が悪くなって入院生活。
心配で毎日病院に泊まりたかったけど学校へ行くことが母への恩返しだと毎日学校に通った。
朝は自分で作ったお弁当を写真撮って母にメール。
夜には課題を終わらせて毎日1時間電話。
その時間を楽しみに毎日頑張れた。
高校2年生のくせに我ながらマザコンですね笑
でもいよいよ電話ができなくなった。
ベッドに横たわる母の姿
私のことを看護師と間違えた。
モルヒネの影響で傾眠、目も見えていない。
覚悟してたはずなのにショックなものはショックで。
そして緩和ケア病棟に移った。
余命宣告 をうけて。
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