「超神ビビューン」と「アクマイザー3」の関係性について最近考えたこと

こんにちは。ぽちです。

今回は、「超神ビビューン」と「アクマイザー3」の関係性について”こういう考え方もあるのかな”と気づいたことがあったので、そのことを書きたいと思います。

結論から言うと、
2作を1つ1つの作品として見る
という考え方です。

東映特撮でも、続きものの作品はいくつかあります。
例えば、デンジマンとサンバルカン、最近だとゼンカイジャーとドンブラザーズ。この作品たちは、作品の一部に繋がりは感じられますが、別々の作品として楽しまれていると思います。
これが理由の1つ目です。

理由の2つ目は、アクマイザー3のラストの展開です。
私はずっと、「超神ビビューンにつなげるために考えられたラスト」だと思っていました。超神たちが生まれるために犠牲になったと思い、「アクマイザー3」に対して申し訳ない気持ちも持っていました。

でもよく考えたら、同じ石ノ森章太郎さん原作のキョーダイン(76年)、大鉄人17(77年)も、「アクマイザー3」と同じようなラストを迎えています。
この2作は機械ではありますが、作中では家族・友人のように描かれていて、ラストはかなり寂しく辛いです。
仮に「超神ビビューン」がなくても、「アクマイザー3」はこのラストを迎えていただんじゃないか、という考えもありかと思います。
そもそも「超神ビビューン」も同じ展開なんですよね。最後に死亡フラグをへし折った圧倒的な”光”もありつつ、三超神自体は他の作品と変わらない最後でした。大鉄人17も、最後に三郎くんを逃がしましたし。

続いて、何故2作品がセットなのか、を考えてみました。

「超神ビビューン」は、作中で「アクマイザー3」について触れているのはごく一部だけで、アクマイザー3の魂はどうなったの?といった「アクマイザー3」の続編としては物足りない作風になっています。
「アクマイザー3」の続編としてとらえるか、「超神ビビューン」という作品としてとらえるかによって、感想・意見はかなり分かれそうな内容ですよね。

「アクマイザー3」の続編の企画が「超神ビビューン」になった、作中でつながりがあったことから、2作はセットのように考えられていますが、結果的に1つ1つでも楽しめる作品になっているのかなと思います。

ただ、「別の作品」と言い切るにはつながりが根深いですね。
因果を逆転して考えると、「超神ビビューン」に力を与えた”謎の力”の裏話としてのアクマイザー3という見方もできなくはない・・・。
あと、最近思うのは、「超神の力」はもともとあって、アクマイザー3が”さらに力を与えた”のかなと。一種のスパイスのような。
そして、この力があったから最後まで戦えたんじゃないかと。

この話も考えだすと永遠に話がまとまらないので、いったん区切ります。

自分がネガティブに考えていた部分をポジティブな見方に変えると、
・超神ビビューンが罪を背負っているわけではない
・セットではなく、1つ1つの作品という考え方もあり(見るための敷居を下げたい)
という考え方になるかと思います。

わたしは「超神ビビューン」が好きなのですが、好きになればなるほど、「アクマイザー3」との関係に良くも悪くも悩んでしまいます。
わたし個人としては、1つ1つの作品としてそれぞれ楽しんだ方が気持ちが楽になったので、こういう考え方もどうかな、と考えてみました。
(もちろんアクマイザー3も大好きです!)

色んな楽しみ方ができる、それ自体が魅力の1つなのかもしれませんね♡