初めてライブに行った日の話
初めてポルノグラフィティのライブに行ったのは、ポカリスエットのキャンペーンライブのRE•BODYだった。調べてみたら2006年ということで、随分時も経って曖昧なところや間違って記憶していることもあると思うが、あえて今、文章として書き留めておきたいと思っている。
いわゆるライブレポートのようなものではない。それは、青かった自分のこっぱずかしい吐露であり、ある意味ポルノグラフィティへの懺悔でもある。
当時わたしは学生で、お金はないが想いだけは過多なファンだった。 公式ホームページを毎日のようにチェックし、出演するテレビは全て録画、雑誌は掲載ページ数の多いものを厳選して購入し、何度も読んだ。「ワイラノクロニクル」と「自宅にて」は自分にとって聖書のような存在だった。 そうしたメディアでの発言を掻き集めて彼らの中身を知ったような気になり、努力し続けていればいつか恋人になって結婚できると本気で信じていた。
そんな壮大な勘違いをしていたのだから、ライブに行って生の彼らに会いに行きたいと願うのは当然のことであった。
だから、ポカリを飲んでポルノのライブを当てようというキャンペーンが始まったとき、わたしはすぐに飛びついた。 ただ、お金はないので自分でポカリを買うだけでは限界がある。そこで、わたしは教室の黒板の連絡事項の欄に小さくこう書いた。
「ポカリを飲んだ人、シールを○○(わたしの苗字)にください!!」
わたしがポルノの大ファンであることはクラスの誰もが知っていることであったため、黒板を見たクラスメイトたちがポカリについていたキャンペーン用のシールをわたしの机の端に貼っておいてくれるようになり、シールは驚くほどたくさん集まった。そして何度も何度も応募し、ついに当選したのだった。あまりにも落選しすぎて、応募するのもだんだん惰性に近くなっていた頃だったので、いつもとは違う、おめでとうございますとのメッセージがガラケーの画面に出てきたときは心臓が飛び上がって一瞬息をするのも忘れたほどだった。
当選したライブの日には、学校の競歩大会があった。ジャージ姿で電車に乗って移動し、全校生徒で準備体操をした上で河原をひたすらに走る。そんなシュールなイベントだ。
事実上のマラソン大会なのだが、わたしはこれを「競歩」という名前がついているのをいいことに、クラスで1番仲の良かった友人と共謀して歩き通すことにした。 要所要所に立つ教員に走れと言われ続けたが、全て無視。これからライブに行くというのに余計な体力を消耗するわけにはいかない。
友人とくだらないおしゃべりをしたり、話すネタがなくなってからはひたすらにしりとりをしたりしながら、のんびり河原を歩いた。 しりとりでやたらと最後に「り」のつく言葉を使って攻めてくる友人に恨み節を吐きながらも、わたしの心の中はついに好きで好きでたまらないポルノグラフィティに会えるのだという高揚感で満たされていた。
そして競歩大会を無事に(?)終え、一緒にライブに行く約束をした同じ部活の友人と落ち合い、友人宅で着替えさせてもらい(我が家は田舎にあったため、帰宅している時間がなかった)、会場へ向かった。
電車を乗り継ぎ到着したときには開場時間が迫っていた。わたしも友人もライブというものが初めてで、勝手がわからずに戸惑っていると、優しいお姉さん2人組が整理番号順に中に入れることを教えてくれた。そこで当選ハガキの番号を見る。4番。
4番って、もしかして、ものすごいやつなんじゃないか???
しかしそのすごさを本当には理解していないわたしと友人は現実感のないままに入場し、よくわからないがせっかくだからと最前列中央を陣取った。
ステージを見上げると、歌い手を待つマイクスタンドが静かにスポットライトを浴びていた。ここに、昭仁さんが来る?本当に?? わたしはこのときドキドキが止まらなかった。あまりの幸運に心がついていけていなくて、何故だか少し怖くもあった。
そしてライブが始まった。後ろの観客たちが歓声とともにぐっっと押し寄せたことによってそれを知った。 苦しかった。最前列のフェンスが身体に食い込んだからではない。そこに、憧れ続けたポルノグラフィティが、本当にいたから。
ライブの内容そのものは、Name is manで始まったこと、サボテン、アゲハ蝶、デッサン♯1、Swingをやったことくらいしか覚えていない。それすら本当に合っているか自信はない。 とにかく、見上げた先で昭仁さんが歌い、間奏になると晴一さんがやってきてギターを奏でていた。飛び散る汗とか唾とか、Tシャツの下から少しだけ見える下着のラインとか、指先とか目元だとか、そんな断片的な映像だけが今も頭の中にこびりついている。
ファンサイトを見て勉強し、なけなしのお小遣いで購入したPURPLE'SのDVDを観てイメージトレーニングまでして、ライブの振付を完璧にマスターしたつもりでいたが、恐らくわたしは他の観客に押しつぶされながら終始呆然と立ち尽くしていただけだった。
夢のようなひとときは、気がついたときには終わっていた。 ステージには始まる前と同じようにマイクスタンドが佇んでいる。ただそこには、この場所に彼らが確かにいたことを証明するかのように、メタリックブルーの紙吹雪が敷き詰められていた。
何故か思い立ってフェンスに身を乗り出し、ステージに手を伸ばした。ステージに、手が触れた。紙吹雪を一つ手に取る。ステージに向かってかざしてみる。そこで、涙が止まらなくなってしまった。
一緒に来ていた友人は突然のことにとても驚いていた。そして、開演前にいろいろ教えてくれたお姉さん2人組も声をかけてくれた。きっと最前列で押されすぎて怪我をしたとか、どさくさに紛れて痴漢にあったのではないかとか、そういったことを心配してくれていたのだろう。
「だって…あんなに近くて…」
嗚咽しながらそう絞り出したわたしに、友人もお姉さんたちも、あぁ最前列で嬉しすぎて感極まったんだなと思ったに違いない。
もちろんそれが全くなかったというわけではないが、本当は真逆の感情だった。
最前列にいると彼らを見上げる形になり、目が合うというようなことはほぼない。晴一さんの視界の中に自分が入ったかもしれないと思うような場面がなかったわけではないが、あくまでそれはギターを見ていただけだっただろうし、昭仁さんに至っては真下に向かって歌うはずもなく、常に遥か向こうを見ているようだった。
大好きな人たちが近くて、こんなに近くなることなんてないくらい近くて、なのに、テレビで観ていたときよりもずっと遠い存在であるように感じた。それが当時の自分にはとても衝撃的で、とてもとても悲しかったのだ。
もちろんポルノの2人は何も悪くない。ただただ自分が勝手に大事にしていた夢が痛々しい妄想に過ぎないことに気がついただけだ。
それが、初めてのライブの思い出。鮮やかな青春の、少しだけほろ苦い記憶。
しかし、その後もポルノへの熱が冷めることはなく、それどころかあの日の惨めな自分を振り払うかように一層のめり込み、アルバイトでお金を貯めてライブに足を運ぶようになった。
2回目(OMC)以降のライブは、あの日のような感情が湧き上がることもなく、最初に思い描いていた通り、笑顔で手を叩き、飛び跳ねた。
初めてのライブのことは、「まさかの最前列で!!超近くて!!もう感動しちゃった〜!」と当たり障りのない感想で覆い隠して、あまり向き合わないようにしていた。
そうこうしているうちに、彼らはわたしじゃない人と結婚した。当たり前のことだけど。
そしてわたしも社会人になり、結婚して、子どもも生まれた。
ポルノグラフィティのことは相変わらず愛してやまないが、当時に比べるととても穏やかな愛情を注いでいるように思う。 そんな今だからこそ、こうしてあの日のことを言葉で表現することができるようになった。
あのとき、泣きじゃくるわたしを優しく抱き締めてくれたお姉さんたちは、どうしているのだろう。もう顔も雰囲気さえも覚えていなくて、仮にどこかですれ違ったとしても絶対にわからない。 でも、今も同じライブ会場で、同じように彼らの名前を呼んでいたりするかもしれない。そうだったら嬉しい。
あの日ステージで掴んだ紙吹雪は、誰かに見せることもなく大切にしまっている。 そして、時々一人で光にかざしてみては思い出す、痛いくらい切実に彼らに恋焦がれていたあの頃の自分。
それは笑ってしまうほど恥ずかしくて、でも何故だか少し誇らしかったりするから不思議だ。