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エゴも、嫌悪感も、罪悪感も

困っている人がいたら助けたくなる。
隣の人の痛みが自分の痛みのように感じる。
恵まれた私は恵まれない誰かのために生きたい。

そういう美しいことを言っておいて、実は、《そういう自分でありたいだけ》。困っている人がいたら助ける私でありたい。隣の人の痛みを感じられる人間でありたい。恵まれない誰かのために生きる自分でありたい。

人のためといっているようで、本当は自分のため。
そういうのを偽善というのかな?自己満足というのかな?

私はそういう人間だ。くずだなって思う。
純粋にその人のためを思っているわけではない。そんな自分への嫌悪感や、「その人」への罪悪感といつもとなりあわせだ。

最近は少し変わってきた。嫌悪感や罪悪感を自覚して受け入れるようになった。そんな私であっても「その人」のためになにかできないかと考え続けることが大事だと思った。

エゴにまみれた卒論テーマ。「本当にその人はそのことで困ってるの?」という問いに、自分への嫌悪感や罪悪感を改めて突き付けられる気分だ。今日も今日とて、嫌悪感と罪悪感と美しい思いをまるっとだきしめて、「その人」のことを考え続けられる私であろうともがく。


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