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出会った人と、漂ってみること

3月31日、21:40をまわったところ。
同期のひとたちの卒業報告や、年度終わりの投稿をみていたら、自分もなにかを書き残しておこうと思い始めた。

とはいえ、そんなに、書くことない。いつもnoteを読んでくれる人が、3スクロール以上は読めないって言ってたので、少なめ少なめで…

※ ※ ※

この1年、たくさんの人に出会った。いろんな地域の福祉をめぐり、地に足つけて暮らしを守る人たちや、そんな生き方を模索する同世代に出会った。

本当に、素敵な人たちばかり。

だけど、生きる時間が限られているなかで、深くつながりあえる人は、実はあまり多くない。机の上に山積みの名刺、日々増えていくSNSのフォロー。たくさんの出会いに喜びを感じつつ、一つひとつのつながりは綱から糸へ、繊維へと細く薄くなってしまうような、不安にもかられる。

今月、高校の同窓会があった。高校時代の私はとても閉じていて、関わった人の数は多くなかった。再会の数もテンションも周囲の同級生みたいに盛り上がれない。自分の高校時代を少し恨んだ。当時の私は、糸や繊維が増えることに怯えて綱にしがみつき、でも少ない綱に頼り続けるのも実は怖かった、そんな感じがする。

大切にしたい関係を大切にし続けるためには、大切にしたい関係を選ばないといけないのかな、と考えたりもする。SNSの700人、500人と、等しく大切に関係し続けることは難しい。みんなと綱ではいられないし、糸や繊維ばかりでは寂しいし、綱だけってのも心細いみたい。綱の人、糸の人、繊維の人、選ばないといけない、私はそこに、罪悪感をちょびっと覚え、関わり方を迷って、ふわっとしてしまうことが多かった。

でもね、最近出会う人たちは、綱でも糸でも繊維でもない、同じ水の中にいるような、そういうつながりあい、関わりあいが増えてる気がしてる。ゆるやかなんだけど、一緒になにかを、よろこびを、苦しみを、持ち寄っているような。

というよりは、私の、人との関わり方が、少し変わったのも、あるのかもしれない。この人とはこう在りたい、ってはじめから考えすぎず、目の前の、出会えた人、ものごとと、まずは向き合ってみる。できるだけ真正面を向いて。水中には上も下も右も左もないけどね。自分にはどうにもできない水流や水圧にまかせて、関係性を見守ってみる。ふわっと、ゆるっと、近づいたり、手を取り合ったり、離れたり、してみる。

このごろは、水中な人たちとの時間が好き。水の中には、よかったことも、苦しいことも、漂ってるから。私もそれでいいと思えるから。どんなあなたでも漂っていていいよ、こちらへおいで、と言える場所があるといいなと思う。よい水を循環させる人でありたいなと思う。

スマホで簡単につながれてしまう時代に、それだけじゃないよりどころになれるような出会いを、次の1年、明日からの日々、積み重ねていきたいな。

おわり。どうだ、ぎりぎり3スクロールか?!

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