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休学8か月のいま

22年1月から大学を休学しています。4月までは軽井沢の診療所でインターンをしていました。4月以降は、SOCIAL WORKERS LABの各地の動きに同行させてもらってきました。

この9か月、何かに向かって、安定して過ごしたり活動したりしてきた、とは言えない。むしろ、かなり不安定な日々を送っている気がします。

それがなぜなのか、8か月たってようやく少しわかってきたような気がしていて、言語化できるかどうかわからないのですが、なにかを書いてみようと思います。

いまわたしと時間や場を共にしてくださっているみなさん、不安定なわたしをいろんな距離で見守ってくださっているみなさん、休学まえからわたしの歩みを知ってくださっているみなさん、
わたしと同じように、不安定な世界で、不安定な日々を送っているかもしれない誰かに、何かが、届いたらいいなと思って、書こうと思います。

※注 4000字あります(笑)

■不安定、ゆらぐ、ゆれる日々

不安定、というのは、どういうことか、というと、

「よっしゃやるぞ」っていう日もあれば、「もうだめだ、わたしなんか、いても仕方ない」っていう日があったり。

一日なにかに取り組んで移動しまくる日もあれば、なんにもしないでベッドで映画を見て一日過ごす日もあったり。

人との関係を適切にとれて、いいコミュニケーションができるときもあるのに、それが崩れて、一つ一つのメッセージにドキドキ、気を遣って疲れたり。

人からの承認がエネルギーになって、いい方向に向かうこともあれば、ひたすら空回りしてしまうことがあったり。

自分の行動や結果にフィードバックをもらったとき、すべてを否定されたような気持ちになりました。わたしの存在をも否定されたような。その度に落ち込み、具合を悪くしました。

自分の状態が悪くなることについて、引け目を感じました。一緒に仕事をして、行動している人がいて、やるべきことがあるなかで、手につかない、休んでしまう、ペースが遅くなってしまう。自分の状態くらい整えてこい、とか、そんなこともできない、まだまだ子どもだな、とか、そういうことを言ってくる、もう一人のわたしがいました。


■わたしがみつけたかったもの?

わたしがさまよう日々の中でみつけたかったものは、わたしの「ルーツ」なんじゃないか、って思うようになりました。

ルーツ。わたしは誰で、なんで生まれて、どうしてここに存在しているのか。それがわからなくなっていました。いや、いままではわかっていた、というわけでもない。いままでもわかっていなかったと思います。わかっていないことに気づけた、ということだと思います。

たくさん、動いてきた。ボランティアもインターンもたくさんやった。学ぶ学問を変えた。就活もした。オンライン講座をいくつも受けた。たくさんの人と出会った。それでも、足元をみてみたら、わたしの根っこが、どこから生えて、どんなかたちで、どんな色をしているのか、みえなかった。根無し草っていうのかな。

どういうことか?

すべてを失っても、わたしのなかに残るであろう大切なもの。それでいて、わたしのまわりのすべてにつながっているもの。

うーん、抽象的だなあ。

とにかく、わたしのなかにある、なにか、大切な軸というか、根っこというか、足というか、原石というか、源というか、かえるところ、心臓?いのちってことなのかもしれないですが、それを、わたしはわかっていなかったし、大切にできていなかった。

でも、それを、わたしよりも大切にしてくれるような人が、何人か、この世にいて、その一人であり、最大だったのが、たぶん、母親でした。

そう。家に帰れば、どんなわたしでも、おかえりと抱きしめてくれる。あったかい。やさしい。どんなピアノでもブラボーって聴いてくれる。家族の誕生日を誰よりも大切に祝ってくれる。生まれてきてくれてありがとうと、言ってくれる。
わたしのルーツを育てて、あたためて、見守ってくれていました。

そして、母親自体がわたしのルーツであるということ。母を失ってから、半年以上たって、はじめてそのことに、明確に気づきました。わたしは、わたしのルーツの、大切な大部分を失っていました。何をしていても、どんなことが起きても、わたしの強さも弱さも、わたしの存在そのものを引き受けて認めてくれる、生きていていいと包んでくれる、そんな根柢の土台を、失っていました。

わたしのルーツであり、ルーツをわたしよりも大切にしてくれていた大きな存在を、失った。そのことに気づけたとき、不安定な日々の理由が少しわかって、心が楽になりました。お母さんは大きかった。お母さんは、もう抱きしめてはくれないけど、ずっとここにいる。だから大丈夫。生きていていいって、ここで言ってくれている、そう思えるような日が、少し、増えました。


■未完成で未熟で、グレーで、にじんで、うじうじでもやもやで、ゆらゆら。

それでもやっぱり、何かをすること、していること、誰かの役に立っている実感が、わたしの存在を支えていました。何もできないとき、役に立てないとき、力を発揮できないとき、存在を脅かされました。

だから、何かしたい、役に立ちたい、誰かのために働きたい、と、毎日空回りを続けました。そのたびに、迷惑をかけました。

迷惑をたくさんかけて、それをフォローしてもらっているなかで、わたしはまだまだ、一人で生きようと、一人で立とうとしているんだと気づくことが増えました。自分の力だけで、こころ、ルーツを、復興しようとしていました。

いろんな人が、一人で生きているんじゃない、と伝え続けてくれました。わたしの復興を、共にしてくれる人がいると、ようやく、気づくことが増えました。たくさんの人が、母親を失った体験の、「共事者」であってくれました。

当事者の世界から、共事者の世界へ、少しわたしがひろがりました。わたしの苦しいことも、しんどいことも、悲しいことも、アホなところも、不器用なところも、全部、一人で抱えなくていいんだと。わかっていたつもりだけど、わかっていなかった。諦めないで伝え続けてくれる人がいて、やっと少し、世界がひろがりました。

そうしたら、世界の見え方が少しだけ、いや大きく?変わりました。分離した「わたし」と「社会」だったのが、地続きの「わたし」と「わたしたち」に少しひらいていきました。

わたしの幸せが、わたしたちの幸せ。わたしの苦しみは、わたしたちの苦しみでもある。わたしが苦しみに向き合うことが、だれかの苦しみを共にすることになっているかもしれない。

わたしたち、のなかに、わたしは存在していていい。そうじゃないと「わたしたち」ではない。だから、わたしはここにいて、わたしを表現していいんだと、やっと、身体が理解してきたのかもしれません。わたしたち、という「ローカル」、生きる「現場」をみつけたとも、いえるのかもしれません。

わたしわたしわたしと、わけがわからなくなってきました。。

そう考えると、わたしが目指してきた「ソーシャルワーカー」像は、さまざまなものことに共事することによって、あいだに在って、はざまで揺れ、揺らぎ、にじみ、うじうじもやもや、ゆらゆらしながら、なにかの触媒になって、well-beingなものがたりを、共創すること。

「あなた」と「わたしたち」をつないだり。「弱さ」と「強さ」をつないだり。「効率性や生産性の世界」とそうでもない世界をつないだり。そうやって、人が人らしく生き、その人がその人らしさを大切にしながらその土地で生きていく世界を、一緒につくっていくこと。

それが、福祉ってことなのかもしれないし、そうでもないのかもしれません。

だから、はざまで揺れ、揺らぎ、にじみ、うじうじもやもや、ゆらゆら、しつづけていいんだなって、思っています。

そうやって、未熟で未完成なわたしとわたしたちを、みんなで育てていけばいいんだなって思います。

あいだで揺らぎ続けることの、不確かさ。不安。それはきっと、いま多くの若者が感じたり感じなかったりしている、生きづらさ、なんじゃないかと思います。時代が、大切にされる価値観が、移り変わろうとしているなかで、そのはざまで、揺れている気がします。

これはこれで、今を生きるしかないわたしたちの、宿命なんじゃないかとも思います。だからわたしは、まわりでゆらゆらしているなかまと一緒に、揺らぎさえも、おもしろがりながら、日々をなんとか、たのしく、やさしく、生きていきたいと思うのです。

そして、そこには、大切なルーツがいつも在るということ。どれだけ揺らぎ、不確かさにおそわれても、わたしが、あなたがそこに在る理由はかならずあって、そこに在り続ける理由もあると思うのです。それは、気づいていないとか、わかっていないとか、いまは大切にされていないだけで、本当は大切ななにかが、そこには必ずあるんだと思います。

それは、わたしの、あなたの、苦しいことも、しんどいことも、悲しいことも、アホなところも、不器用なところも、全部、大丈夫、存在を、受け止めてくれる場所だと思います。

祖父が生まれ育ち、幼い頃の母が夏休みを過ごしたいわきに、SOCIAL WORKERS LABの仕事でやってきました。その地で積み重ねられ、外と内の狭間で揺さぶられながらも続いてきた暮らしがありました。その歴史を知ったとき、横浜で亡くなった祖父と、札幌で亡くなった母が、いわきには一緒にいるような気がしました。いわきのローカルに、わたしのルーツをひとつみつけました。

わたしの両親の結婚式の動画がでてきました。新郎新婦の目標は、「世界平和」。
わたしのルーツはここにあると、思いました。夫婦で普通の顔をして、そんなこと言えるの、あたりまえではない気がします(笑)。でも偶然にも?わたしの目標もそれです。やっぱりわたしは、この人たちの子なんだなと思いました。また一つ、わたしのルーツがみえました。

8月20日のトークイベントを経て、ようやく、言葉がみつかったり、みつからなかったりしています。「ローカル」と「生きる」というテーマを、いろんな角度から眺め、言葉にしてみたり、問いをたててみたり、そんななかで、当日を迎え、熱気200%の2時間を過ごし、いまのわたしが表現できることを、言葉にしてみました。

わたしのなかで何かが変わり始めている気がするし、そうでもないのかもしれません。まだまだなのかもしれません。でも、少しだけでも、一歩を踏み出したような気はしています。

これから先もなにが起きるかわからない旅です。
いまここに在るのは、これを読んでくださっているあなたのおかげです。
また明日からも、よろしくお願いします。ありがとうございます。

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