書き込んだ手帳から
2016年6月、仙台文学館の小池光短歌講座に初めて参加した。大げさな表現になるが人生で初めて短歌を人に見せたのだった。好運にも初参加の際に提出した歌、
書き込んだ手帳をひゅっとゴミ箱へ投げ捨てるようなあきらめのある
に比較的良い評を頂き、年度末にはこの歌ともう一首が講座記録集に採用された。とても嬉しかった。
短歌を発表するのは初めてだったが、東日本大震災のころから短い文で生活の記録をしていた。感じたことを書き留めていたのだ。短歌講座に提出した歌もこのころのメモからのものである。
東日本大震災の際、私はちょっと特殊な状況であった。2011年当時、私は東京で働いていた。心臓の手術で入院していた父の退院を手伝うため、3月11日に仙台の実家へと帰っていた。昼過ぎに医師から経過の説明を受け、実家に戻ったところで強い揺れに襲われた。呆然としていたところへ、仕事場から戻ってきた弟が「ものすごい津波が来るという予報だから小学校へ逃げよう」と強く勧めたため、体調の良くない父とともに避難をした。この小学校は仙台市で一番海に近い小学校で、避難した五百名は屋上に上がりどうにか助かった。その後、また別の場所にいた母と再会して家族全員が揃うまでも辛かったが、震災被害には複層的なものがあり、家を流された私でも、もっと大変な人がいるんだから、と自分を抑え込んだりしてしまっていた。また、一ヶ月後にどうにか東京に戻ってからも微妙な温度差や私の事情説明の面倒さに疲れる日々であった。そうした日々の記録を書き留めてやり過ごした。
震災から三年後に仙台へ戻ることになった。新しい出会いもあり、私の震災体験を理解してもらえる場もあった。そこでそのメモを短歌の表現に合わせることをしてみた。そして冒頭に書いた講座への出席に至る。
まだ震災を直接詠むことは難しい。しかし、それを超えた作歌の楽しみが感じられるようになってきた。少しずつ作歌に挑み、長く続けていきたい、と考えている。
「短歌人」平成29年12月号「三角点」p.87
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