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カーティスクリーク幻想

友人の故郷は千葉である。職場は実家から通えない距離ではなかったが、都内にアパートを借り実家には戻ろうとしなかった。
「だって、千葉にはヤマメいないじゃん」
と言うのである。
「千葉にヤマメがいればなあ」
もしそうならば、彼は千葉に住んでもいいと思っている。真偽のほどが定かではない噂はあったがふつう千葉県には鱒類はいないとされいる。山はどこも低く、地質も砂または粘土で渓流魚が生息している川などない。日本広しといえど渓流魚がいないのは沖縄と千葉ぐらいではないかと言う。
そんな彼が知らない間に房総に自然河川を利用した鱒の管理釣り場がオープンしていた。時代を反映してルアー・フライ専用区間も併設、というよりはそちらがメインであった。
「うかつだった」
と彼は悔しがった。なぜなら彼がその釣り場を知ったのは釣り場がオープンして数年後のことだったのだ。友人は正月に実家に戻ったついでに早速その釣り場に出向いた。
「千葉で鱒釣り場をやろうというのだろうから最上流部だろう」
という予想に反してその管理釣り場は中流部の小さな町の外れにあった。川はささ濁りで、その濁りは増水や工事によるものではなく日常的なものだった。立ち込むと川底の砂や粘土が舞い上がり水が濁った。川幅は二〇メートルほど、水深は五〇センチ、高低差はほとんどなく人工的に置かれた複数の一抱えほどの岩によって一キロ程度の流程が数エリアに区切られている。
とても鱒の川ではなかった。良くてウグイ、なんならフナの川である。彼はやっぱり千葉の川だなと思うのと同時に安心感を伴った小さな感動を味わった。
「へー、どこでもいいんじゃん」
と思ったのである。

友人のささやかな夢は鱒の管理釣り場の経営である。彼の知っている鱒の管理釣り場はどこも鱒が生息できる環境、もともとイワナやヤマメが生息できる場所、地域にあった。ところがフナの川で良かったのだ。
残念な点はやはりというべきか、夏の間は対象魚が鱒から鮎と鯉に変わることである。とても鱒が生息できる水温ではなくなるのだろう。
釣りは難しかったという。友人はオフシーズンにせっせと管理釣り場通いをしていた時期があって山梨の管理釣り場では九七匹釣ったこともある「泣き百匹釣り男」である。管理釣り場での数釣りには少しは自信をもっていた。
まずは定番のエッグフライを試したが三時間長しつづけて一度のあたりもなかったという。友人がいつもいく管理釣り場に比べると魚の数も少なく、濁った水のせいで見釣りができなかったこともあるが、それにしても釣れなかったという。そこで友人はかつても定番のウーリーバッガーに取り替えた。ドリフトを工夫し、リトリーブしたり、それなりに苦労したが、それでも釣った魚は一〇匹に届かなかった。
いつも釣った魚を持ち帰ることのない友人はその日釣れた鱒をビクに入れて生かしておいた。彼にはたくらみがあったのである。

千葉はため池の宝庫である。山といえるほどの高さのない丘陵と丘陵の間はたいてい田んぼになっていてその奥には田んぼ用のため池がある。15年以上前、まだ友人がバス釣り好きの中学生だったころ、「秘密の釣り場」をもとめて、地図を見ながら自転車で千葉のため池を巡るのが日課だった。バス釣りが今ほどポピュラーになるまえだったのでずいぶんいい思いもしたようである。そんな経験をもつ友人は千葉の野池、ため池にはめっぽうくわしい。
友人のたくらみとはため池への鱒の放流だった。その管理釣り場の存在と、同じ房総にあるブラックバスのメッカの亀山ダムや高滝ダムにニジマスが放流され釣れていることが彼を勇気づけた。
どうせ夏になれば放たれた鱒は死ぬことになるのは覚悟のうえで、彼はひとつの池にねらいをつけた。その池に生息している魚は友人のしるかぎりブラックバス、ブルーギル、ヘラブナと大きな錦鯉ぐらいである。おそらくは雑魚もいるとは思うが見かけたことはないということだ。
地図をたよりにその池にたどりついた日のことをフライフィッシャーとなった今でも忘れることができないと言う。友人はその日トップウォータープラグだけで三〇匹以上のブラックバスを釣った、と昨日のことのようにうれしそうに話すのだ。
その池が気に入った理由は魚影の濃さだけでなく水質の良さにあった。雨が降って増水しても水を抜かれて減水しても泥濁りになることはなかった。
「きっとどこかにわき水があるんだよ」
というのが友人の意見、いや希望だった。距離的にもその池は管理釣り場からもそれほど遠くでもなかった。

友人の最初の計画の実行は正月三日に実行された。朝七時から午後三時までやって釣り上げた七匹の鱒をビクから厚手の大きなビニール袋に移し替え車を走らせた。人気のない夕暮れの池のほとりでビニール袋から放たれた七匹の鱒はゆっくりと泳いで消えていった。一匹も鱒も死ななかった。一度目の「犯行」は成功した。夕闇の中で禁じられた遊びだけがもつゾクソクとしたよろこびがこみ上げてきた。「昔近所の池にXXXを放流した時のことを思い出したよ」と告白した。
友人は3月になって自然渓流が解禁しても千葉の管理釣り場へ、池へと通った。自然渓流の鱒よりも、自分が放流した養殖鱒がきになって仕方がなかったというのだ。
放流数が友人の決めた一応の目標の一〇〇匹に到達したのは四月に入ってからのことだった。その時点で友人は始めて池でフライロッドをつないだ。ブラックバス釣りの人が帰ったあとにこっそりとである。
夕暮れの水面には小さな羽虫が飛んでいた。そしてライズ。散発ではあったがライズがあったという。その主はブルーギルか、バスか、フナか、鱒か。友人はライズに向かってエルクヘアカディスを投げた。エルクヘアカディスはスポッと水に消えた。ロッドを立てると魚が暴れるのが伝わってきた。はたして釣れたのは鱒だった。
友人はわきあがる達成感をこらえきれず、やった!と声が漏れてしまったと言う。彼の喜びはいかほどのものだったのだろうか。もちろん友人にも自分の行為はマスターベーションにすぎないという自覚はある。しかしだからなんだ、マスターべーション上等だ。友人の愉悦、達成感は大きかった。
「鱒の引きは釣り堀にいた頃とは比べものにならないほど引いた」
と思い入れを込めて言う友人に、呆れながらもうらやましく思った。
世界は完成した、環は閉じた。とは友人の言葉である。
彼の野池の未来はない。友人も認めているように鱒は夏を越せずに死滅するだろう。万が一越夏できたとしても流入河川があるわけでもないので繁殖は不可能だ。ひっきりなしにくるブラックバス釣りのルアーにかかり、それを専門に狙う人が現れないとも限らない。それに多くの千葉の野池がそうであるように数年に一度水を抜かれることがあるということだ。
それでも、いやだからこそ彼のカーティスクリークは千葉の野池だったのだろう。

フライの雑誌No.39 1997年初秋号


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