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ぺるそなおは静かに暮らしたい

恐らくこれが最後の投稿になると思うが、
特に誰かにあてたメッセージではない。
単純に私が今の気持ちを忘れないために
残しておきたいから書くだけなので、
誰かに読んでほしいわけでもない。

2021年という年は仕事でもプライベートでも色々あった年だったと思う。まぁ、色々と思うことあって転職することになったが、これもTwitterをやめる要因の一つであることは間違いない。
細かい背景は説明しないが、あまりSNSに仕事を持ち込みたくないというのが本音だ。

趣味アカウントでのツイートを仕事の関係者に見られる可能性がある状態は、仮に興味を持たれていないにしても何となくやりづらいのだ。
私の中でツイッターなんてものは、それなりの『リアル』の中に、ほんの数滴の『フェイク』を混ぜて味わうものだと思っている。
全てが真実ではないし、かと言って嘘でもない。
そんな曖昧さが楽しいのだと感じている。

しかし、そこにある時から矛盾する感情が共存するようになってきた。どうせ仮想現実なのだから、どこかの誰かがいくら『フェイク』を混ぜても許されるはずだ。何なら全てが『フェイク』であっても何の問題もないはずなのに、それが許せない自分を見つけてしまった。

結局、真実も、受け取り手がどう判断するかであって、仮に騙されたところで、それに文句を言っても何も解決しないのである。を証明する方法もなければ、真実を証明する方法もない。
それを証明する必要すらないのかもしれない。
不正は暴かれるのが当然で、それには必ず罰が与えられ、その罪を犯した者を万人が嫌悪するものだと、生まれてから今まで私は勘違いしていた。

世の中は私が思っていたよりも様々な思想倫理観で溢れていて、常識正義は人それぞれであり、自分に関わらない事柄に対して意外と無関心というか、寛容というか、当事者にならない限り、当たり前のことかもしれないが、他人事である。良くも悪くも、疑わしきは罰せずなのだということを学んだ。私のような好戦的な性格は、恐らくSNSだけではなく、社会に対して不適合なのだということを思い知らされた。

私は『将棋』という趣味をもち、Twitterを始めて丸4年くらいになるが、信頼できる仲間もでき、自分の居場所というか、居心地が良い、楽しい場所を見つけることができた。しかし、ある同一人物と思われる2つのアカウントの出現により、その場所が奪われてしまった。

大袈裟に感じるかもしれないが、どうしても許せない人間が、自分の仲の良い人や、コミュニティと絡みがあるというだけで、その人間や環境と一切関わりたくなくなってしまう。その存在だけを無視して、それ以外を楽しむなんて器用なことを私は絶対に出来ないからである。

なぜその人物を許せないかと言うと、詳細は割愛するが、あるTwitter棋戦の日程調整を、棋力の大きく異なる別の将棋アカウントから私にDMを送ってきたのである。普通に考えて、その2つのアカウントは同一人物と判断するのが妥当だと思う。家族で端末を共有しているなんて言い訳が通用するのは、良くて平成までだろう。

ほぼ特定できる証拠は集めたが、本人が別人だと言い張れば、証明しようがないので、それを受け入れるしかない。私は疑ってしまったことを謝罪したが、その人物は疑われるようなことをしておいて、逆に疑った私を責めるような発言をしたのである。正直、かなり人間性を疑っている。

今となってはその2つのアカウントが同一人物であろうが、異なる複数の人物が1つのアカウントを共有してようが、もうどちらでもいいし、興味もない。ただ、疑ってしまい、黒であることを証明出来なかった以上、私はこれから先ずっと、この人物が関わるイベントやコミュニティに参加することはできないし、その人物と仲良くしている人間は敵とまでは言わないが、決して味方だとは思えないだろう。

何かと私の性格が災いしているのは認めるが、
全てを解決する方法として、私が消えるのが妥当であると判断した。別のアカウントを作り、細々と生きていく道も考えたが、新しく楽しい場所を見つけられる気がしないので、悔しい気持ちや寂しい気持ちはあるが、これが最善だと思う。

いつか元凶となっている何かが解決する日がくれば、復活することもあるかもしれないが、あまり期待せず、今はただただ静かに暮らしたい。

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