思考が先、現実が後

この言葉は、私が尊敬するアカリ校長から
教えていただいた言葉です。

そして、私を節目節目で助けてくれる言葉でもあります。

意味としては、目の前に辛い現実があるとしたら、それはあなたの思考が作り出している。ということ。

私たちの頭で思ったことが、映写機を通して現実としてみえているということですね。

私はこの言葉を聞いたときは、
とにかく ???  となり、
数年かけて自分のなかに落とし込むことができました。

例えば職場に嫌だなと思う人がいるとしたら、それは私の思考がその人を作り出しています。

私にとって、その人がいることがメリットになる可能性があります。

また、否定語はあまり通用しないパターンもあります。
例えば、ああなりたくない。こんなことが起きたらどうしようと心配しすぎるのも危険です。

なりたくなりという否定が伝わらず、
そうなりたいと受け取られ、嫌な現実を見ることになります。

これはねー、本当にあるんですよね。。

私は猫が苦手なんですけど、
道を歩いてて、猫ちゃんいたら怖いなーと思ってるといるんです。笑

猫って道にいる?
って思うような交通量多いとこでも
なぜか私の周りにはいるんです(;゜0゜)

これは本当によく起こります!!!

でもいいこともあります。
私は周りの人と助け合って生きたいと思ってるし、物々交換で循環する社会は素敵だと思ってます。

そうすると不思議なことに
この3日間で隣の人からズッキーニをもらい、
お友達から枝豆をもらい、違う友達から手作りキムチが宅配便で届いて、ママ友からは手作りドーナツをもらいました!!

そのどれもがひとつひとつ紹介したいほど美味しすぎる、、、という話は置いといて。

私の理想とする世界はもうすでにここにあるんですよね。。

超ど田舎で育った私は昔から物物交換の溢れたところで生きてきたけど、田舎を離れてもどこにいても理想の世界は作れるということを感じます。

よく村を作って、仲間たちと助け合いながら生きていきたい!という理想の話をするけど、私はどちらかというと今住んでる場所がその理想になればいいのでは?と思います。

もちろん村が作れれば最高だけど、
現実としてはかなーーーり大変ですよね。

でも今いるところで、できるならすぐ実行できる!

大事なのは、自分が動く!と言うことだと思います。

誰かが作った村を理想とするのではなく、自分が動くということです。

難しいこと考えなくても、まずは自分の身近な人から始めましょう。

私の住んでるマンションは100軒くらい住んでますが、すれ違ったら必ず挨拶をします。
これは都心の友達が遊びにきた時驚いてたので、珍しいんですかね?笑

同じ階のおばあちゃんが果物くれる
違う階の人が子供服のお下がりくれる

マンションでも田舎の集落と同じことが起きていますʕ•ᴥ•ʔ

昔、一人暮らししてたときは
隣の人の顔も知らないし、会っても素通りが普通でした。これもきっと私の思考が作り出してた。

人との繋がりが煩わしいと思ってしまう人が多い世の中になるのが、私は少し寂しい。

人は人と繋がって、幸せを感じると私は思っているので、自分さえよければではなく、自分の周りもよくするという意識を一人一人が持てば大きな大きな村ができあがりそうですね。

そんな未来を想像して、その思考を現実にしていきたいなと思います。

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