未来のわたしからのねぎらいの言葉
たまに、頭の中で過去にタイムスリップをすることがある。
”あのときちょっと勇気を出してやってみていたら、どうなっていたかな〜”
ということを考える。
たとえば中学のときのこの場面は、今まで何回もタイムスリップしている。
中学のころ、英語のスピーチをやってみないかと、担任の先生から話をもらった。
田舎の小さな市内のスピーチ大会で、市内の学校から一人ずつ代表が選ばれる。けっこうな長さの英文を暗記して、成人式をやるようなホールのステージ上で発表をし優勝者が決まるというものだ。
私は自分なんかにはできる気がしなくて、断った。
大勢の前で注目されながら話すのは苦手だったし、大会前には自分の学校内でも全校生徒の前で発表しないといけなかったので、変に目立って何かめんどうなことになっても嫌だから大人しくしていたいと思ったのだ。もし失敗したらと考えるのも嫌だった。
母にそのことを伝えたら、「怖がらずに、挑戦してみたらいいんだよ」と優しく言ってもらった覚えがあるが、私にとってはリスク9.5:ワクワク0.5くらいだったので、まあ当然断るでしょ、くらいの感覚だった。
けっきょくその代表は別の子が担当して、その子は大会で準優勝だった。
ステージで発表していた彼は、普段は目立つ系男子たちからいじられているようなタイプだったけれど、その日はとても自信にあふれた表情で英文をスラスラ口にしていた。
まぶしくて、それからちょっと悔しかったんだと思う。
私も、やってみたらホントはできたのかもしれないな。って思った。
だから今でも、ふとそんな想像をしてしまうのだ。
先生に誘ってもらったとき、ドキドキしながらも「やってみる」と返事をしていたら。
普段の授業ではカタカナ読みじゃないと浮いちゃうけど、スピーチなんだから、がんばって練習したらちょっとかっこよく発音できたかもしれない。
ステージを降りながら、私だえに向けた拍手をもらえていたのかも知れない。
みんながこれから習う教科書の英文を一足先に暗記するから、次の期末テストはテスト勉強しなくても余裕だったかもしれない。
なにより、挑戦できた自分を、誇らしく思えたかもしれない。。
今なら、当時の自分に「やってみなよ。どうなったって大丈夫なんだから」と言ってあげられるのに。
あなたが恐れてるようなことって実際起こらないし、
起こったとしても、あなたは自分を責めたり、周りに屈したりする必要は全くない。堂々としていたらいいのだ、と。
ここまでの流れ、ボーッとしながら考えてることが今まで何度かあった。
まさに「やらない後悔より、やった後悔を」ってやつだ。
でも、このあいだふと思ったのだ。
<今の私>が<過去の私>にかけてあげたい言葉は、
「大丈夫だから、やってみな」。
じゃあ、
<未来の私>が<今の私>を見たら、なんて声をかけるだろうかって。
たぶん同じ
「大丈夫だから、やってみな」
だろうな〜。って。
それから他にも、
「あなたはいろんな人に大事にされているよ〜」
「あなたの今の一生懸命さを、すごく尊く思うよ〜」
「でも、正解ができなくてもいいんだよ〜」
「にこにこ笑っていてほしいな〜」
って言葉がでてきて、すごく暖かい気持ちになった。
やっぱり、自分を苦しめるのは、自分の中の思い込みなんだなぁ。
ねぎらいの言葉をリアルタイムでかけてあげられるようになりたいな。
自分にも、大切な人にも。
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