ばぁばの月命日
いやはやご無沙汰しております。
最近バタバタしておりまして、久々の投稿となります。
(最近のバタバタは後日ゆっくりとネタにしていきます。)
さて、今日(4/26)は、私の祖母、ばぁばの月命日です。
ちょっと落ち着いたので、ばぁばの写真を印刷して、「ばぁばの場所」を部屋に作りました。
ビールと、ずっと吸っていたマイルドセブンを添えて、ビールを1杯ばぁばとやりました。
今は一人暮らしなので、晩酌を始めた時は色々ボソボソと語りかけていましたが、小っ恥ずかしくなってきたので、声に出すのは止めて、ちょっと記事にしてみようかと。
なのでこれはばぁばへの手紙みたいなものです。(ちなみにほろ酔い状態です)
私はマザコンだと、親元を離れて実感しましたが、それと同じくらい、「おばあちゃんっ子」でした。
これは大学生卒業後、2年付き合った彼女と別れた時にばぁばの家にお茶をしに1人で行った時に言われたのですが、
僕のことをかなり気にかけてくれていたようでした。
僕は双子でして、母は初めての育児を、いきなり普通の倍の負担でこなすこととなりました。
母は実家に帰って、ばぁばと2人で、分担してお世話をしてくれていたようですが、
私にミルクをやったり、オムツを変えたり、色々お世話してくれてたのはばぁばだったらしいです。
やったミルクを、ゲップでほぼ吐くという、
ほんとに手のかかる問題児だったとその時に笑いながら言われました。笑
(おそらく今でも一番の問題児です。笑)
でもだからこそ、一番気になるとも言われました。
ばぁばの孫は僕を含めて5人おりまして、その5人の中で優劣をつけることは全くなかったですが、やっぱり気にかけてくれていたみたいです。
ばぁばは入れ歯をしていたのですが、入れ歯を外したばぁばを見たことあるのは孫の中で私だけ、というのはほんのちょっと自慢です。笑
(見せられた当時はガチでビビりました。笑笑)
ばぁばの家は私の実家から車で20分くらいで、よく遊びに行ってまして。
あのリビングで、みんなで机を囲んであーだこーだ話をするのがなかなかに楽しく、ばぁばの家に行くのはそれはそれは楽しみなイベントでありました。
ただ、当時のばぁばは、酒にタバコと、ブイブイいわせてたのであります。
なのでばぁばの家に行くと、タバコの匂いがつく。これがなかなかに嫌でして。
(でも今となっては、私もヘビースモーカーになってしまいました。笑)
今日、ばぁばが吸ってたタバコを買ってきて、1本火をつけて写真の横に置きまして、
ちょっと時間が経つと、昔ばぁばの家に行った後に服に染みついた匂いがフワッと漂ってきて、
なんとも懐かしい気持ちになりました。笑
結局ばぁばとは、タバコを一緒に吸ったことはなかったので、それもひとつ後悔でごさいます。
ばぁばが亡くなったと知らせを聞いた日、全く涙が出ませんでした。
その日、私は納車日で、納車を終えて帰宅し、すぐにばぁばに会いに行きました。
ばぁばが寝ている傍らで、今までで見たこともないくらい泣いている従兄弟がいました。
妹もばぁばに寄り添うなり、泣き崩れてしまいました。
でも、私は全然涙が出ませんでした。
きっと実感できてなかったからだと思います。
今にも起きそうな、本当に安らかな顔でした。
最後に家族でばぁばのお見舞いに行った日も、自分が想像していた以上に過酷な闘いをばぁばはしていました。
それとなく近況報告をしたり、色々な話をしました。
そろそろ帰ろうか、となった時それまでずっと口を開かなかった妹が、ボロボロと泣き出してしまったのですが、ばぁばは
「泣いたらあかん。ばぁばも頑張るから。」
と言ってまして、それもあって泣かないように心のどこかで我慢していたのかも知れません。
(帰る直前まで、私とお父さんを間違えていたのもばぁばっぽいなぁ。笑笑)
でも、お葬式の前に、ばぁばの着替えを見た時に、
「あんなに周りに人がいて、あんなに強い力で身体を触られいるのに、全然起きないな」
と思って、そこでばぁばが亡くなったことを実感したのでしょう。
そこから涙が止まりませんでした。
この記事を書いている今も、結局涙が出てきてしまいました。笑
きっと、もう泣くな!と一喝されそうですが、まだまだ強くはなれないものです。笑
ばぁばが入院すると聞いた時、その時はただの検査入院で、2週間で退院する予定との事だったのです。
コロナのせいで、お見舞いもできなかったので、手紙を書こうと思いました。
でも書かずに、入院が少し伸び、5年間の闘病でボロボロだったばぁばの身体はやはり弱っていて、そのまま逝ってしまいました。
大学に入ってから、バイトや遊びに時間を費やしまくった私は、みんなばぁばの家に行ってるのに自分だけ行かない、と言うのが続いていました。
もっとばぁばの家に行っておけばよかったとか、手紙書いたらよかったとか、タバコ一緒に吸いたかったなとか。
両親に相談できないことも、笑い飛ばしながら聞いてくれたばぁば。
そんなばぁばに全然恩返しが出来てない。しかもするチャンスはたくさんあったのに、と
たくさんの後悔が押し寄せてきます。
今思えば、そんな後悔もうするなよ、と最後にばぁばが教えてくれたのかもしれません。
それ以降は、親元を離れたというのもありますが、両親にはちゃんと色んな話をできるようになりました。
最後の最後に、ばぁばが教えてくれたことは本当に大きい。
今まで本当にありがとう。これからはばぁばの娘たち、孫たちがどんな風になるか、見ててくださいな。
色んなことが起こって、それを報告するのが、恩返しになるのかな?と思ってます。
月イチペースで、晩酌しようね。
以上、ほろ酔い状態で綴る、まとまりのない記事でした。笑
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?