ジャージャとダッシュ
小学五年生まで住んでいたマンションは、鎌倉市の北端、藤沢市にほど近く、A、B、C、Dの4棟が中央の大きな公園を囲むように建っていた。南東から時計回りにA棟、B棟、C棟、D棟が並び、それぞれ真っ白なコンクリートの10-11階建てだった。縦長のゆで卵型状の公園を囲むように斜めに建って見守っている。
その殆どは、4人家族を想定した2LDKの間取りになっていて、当時のA,C,D棟は私の記憶する限り殆どが同じく、左右対称にコピーされた部屋が縦に何列か並んでいた。当時の団地と同じ作りだ。団地と違うことと言えば、階数が高いのと、敷地内に幼稚園やスーパー、電気屋や雑貨店、集会場なども内包したコミュニティになっていたことだ。
このマンションは、日当たりを気にしてかB棟だけ、ベランダが南向きに設計されていた。そのため別の3棟が公園に向かってベランダが面していたのに対し、B棟は廊下と部屋のドアが公園側に面していた。更に建築家が違うのか不思議とモダンなデザインで、真っ白なコンクリートに落ちる、廊下の屋根の陰影は、晴れた日には特に力強さを持ちドッシリとしかも洗練した美術館の外観の様だった。
B棟には、そんなおしゃれなデザイン性以外にももう一つお気に入りの理由があった。
あまり大きな声では言えないが40年も前の話だから許して頂きたい。それは斜めではあるがほぼまっすぐに延びる外廊下をダッシュしやすかったことだ。
2つ歳下のB棟に住む男の子ジャージャとC棟に住む私は仲良しだった。お互いの姉達やその友達らに、我々2人は「ミソッかす」つまり何かのゲームや鬼ごっこの際に正式なメンバーではなく、言わば見習いとして扱われ、アタマ数入れてもらえなかった。鬼ごっこの時にはただただ真似をして逃げ回ったり隠れたりする日々が続いた。
ジャージャと私はお互い悔しい思いを共有していた。ジャージャが3歳、私が5歳とか、その位の歳だ。
このミソッかす2人は、ドロケイの際もドロを見つけたり、ケイに見つかったりしても、皆に驚かれる事も驚く事もせず、相手にもされないので、ひたすらに好き勝手に走り回った。
A棟からD棟のあらゆる廊下とエレベータを駆使して、なんの法則もなく2人組になって、ギザギザに走ったり、飛び跳ねながら走ったり、奇声を発したりした。
ある時、B棟の5階位まで登り、下界のドロケイをする皆をみながら、真っ直ぐに伸びた廊下の端っこでジャージャはこう言った。
「もうつまんないからさー、誰かんちの家をピンポンとかしてみようよ!」これがあのピンポンダッシュだ。
世間知らずの私は、ポカンとしてジャージャがやるのを見ていた。
突然、ジャージャが目の前の家のインターホンを小さな人差し指で背伸びをしながら押した。ピンポーン🎵…はーい、どなた?…
私はドキドキしていた。ジャージャはサラサラのボブカットの長い前髪の奥からニヤニヤとした目で私を見つめていた。
その姿は、ドロケイに興じている3.4つ年上の姉たちなんかよりも、自信に満ち溢れていた。
それから、ジャージャがダッシュするまでの数秒間が永遠の様に感じた。
「走って!」ジャージャは私に叫んだ。
猫の様にすばしこいジャージャは何か叫び声をあげながら一気に通路を走っていった。秋の少し肌寒い季節。
喘息持ちだった私はゼーゼーと言う音を気管支から鳴らしながら、でもジャージャの後に直ぐ追いつく距離で疾走していた。
「だーれ?!?!」というヒステリックなおばさんの声が、遠くの方で聞こえる。廊下にはあちこちの家から夕飯の焼き魚や味噌汁や大根の煮物なんかの香りが、疾走する私達にまとわりついた。
私とジャージャはD棟の端から端まで走り抜いて、非常階段の螺旋階段に座り、2人で大笑いした。
当然、この様な悪行を直ぐに取り締まる事のできるのも、このマンションの特徴だ。
B棟の廊下で悪さすれば、他の3棟のかなりの家のベランダから丸見えなのだ。しかも奇声など発していれば尚のことだ。
すぐに母親にバレ、こっぴどく怒られた。
ジャージャもまた、お母さんに怒られた。
暫くジャージャに会えなくなった。
2人が一緒に居ると、イタズラすると思われたのだろう。数ヶ月して、ジャージャから電話があった。「こないだはごめんね。時計台あるじゃん?あそこで今度待合せしようよ、面白い遊びがあるから」「いいよ!」
でも、私はマンションの敷地の端にあるその時計台に行くことはなかった。直ぐに小学校が始まってしまったから。
それからジャージャと遊ぶことはなかった。あの時、時計台で待ち合わせてジャージャが教えてくれようとしていた遊びも、分からずじまいだった。お互いが別の小学校に通う様になり、それぞれの友達もできて、マンションの敷地内で会うと手を振るくらいの間柄になった。
ある時ふとジャージャの事を思い出して、母に「ジャージャってなんでジャージャなんて変なあだ名がついてたの?」と聞いた。
「おしっこをジャージャーしちゃったからお母さんがジャージャって付けたみたいよ」と。
ジャージャって、おしっこの事だったんだ。(笑)私はあんなにかっこよくD棟の廊下を走るジャージャは、外国人の名前を真似たジョージみたいな名前かな、って思ってた。
だから、おしっこだろうがなんだろうが、
やっぱりジャージャでいいや。
あれから40年の時が経ったけど、私はまだ走れそうな気がする。
40代のおじさんとおばさんで、ダッシュしてみたいな。
#みにがたり
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